SSブログ
歌謡教室 ブログトップ
前の10件 | -

命の洗濯 [歌謡教室]

T子さんが入門してから5年、今は昔からの友人のように仲良しです。ここ数カ月の私の体を随分心配して、きょうはご自宅へ招いて頂きました。共通点は私も彼女も「江戸っ子」豊島区生まれと文京区生まれの二人です。今思えば彼女の家と、私が通っていた小学校とはかなり近かったようです。


P1012273.yy88.1600.aa.JPG


帰路、母の好物の草餅を買って家に戻った私ですが、もうやめようと思いながらも、またもや裏木戸から部屋に戻りました。最近の私は正面玄関からは殆ど出入りしていません。怖いからです。その場所では胸を打たれたり手首に怪我を受けたりと、痛くて怖い仕打ちを受けた場所だからです。もし自分が逆の立場だったらどうするのかと考えたりもしましたが、何があっても私自身は、人に暴力は振るわないと断言できます。


P1012117.yy88.1600.ab.JPG


世間の方々は、その生涯で、暴力など受けたことのない人が殆どだと思いますが…。私も何故、自分が暴力を受けたのか、何回も何回も受けたのか、未だに理解できません。そんなこんなで家探しをしていた私でしたが、予想外の経費を聴いて、さすがに怖気ずいてしまい、中断です。URでは65万円、市中の不動産屋さん数件をお聞きしてみても、やはり50万円位はかかる様でした。


P1012211.yy88.1600.abc1.JPG


私は本当に情けない人間です。この年で50万、60万に驚くなんて。もう言い訳が通用しない年齢です。しかし現実は現実。家を手放したあの日から、わたしはもう普通ではないのかもしれません。夫が亡くなった後の家には毎日いろいろな人が押しかけ、脅かされたりもしました。家を手放さなければ、命さえ危なくなってきたのです。仕方なく家を手放し夫の借財を返済。その後、私は現在の住まいに引っ越してきました。周囲の暖かいご厚意に甘え、今日迄生きてきました。


P1012277.abc.yy88.1600.JPG


この7年間は夢のように過ぎ、老境に入っても臆することなく、楽しい日々を過ごしていました。その暮らしが地震のような音を立ててグラグラと崩れたのは2021年の4月からでした。不可解な暴力の数々。私が言う『暴力』という言葉に多くは同意を頂けないまま、我が余生の日々は、暴行一色に塗られました。2021年4月29日から6月24日迄で、合計8回に及びました。体中の痛みと、心の痛み。その中で私はもがき続けました。


P1012278.yy88.1600.aa.JPG


そんな様子に教室を去る方もありましたが、私を元気づけるようにレッスンに来て下さる方も沢山おられました。そうして丁度10か月。私の決心は、転居でした。これ以上体がもたないと感じたからです。しかし、これが運命なのかと思うほど、家探しは難航しました。物件上のアクシデントもありましたが、購入者の私、その資産のなさに我ながら吃驚。勿論家を買うわけではなく借りるだけなのに大まかにいえば、引っ越し代を入れると100万円前後は必要だったのです。


P1012280.yy88.1600.aa.JPG


自分の不甲斐なさに死さえも脳裏に浮かびます。しかし私はまだ生きたい!このまま死ぬなんて絶対に嫌だと。その結論をもって出直すことになりました。然しこの先、本当に生きて往けるかどうか、まだまだ自分でも分かりません。いまの2倍も3倍もの努力が必要ですね。


P1012281.yy88.1600.aa.JPG


そういえば、帰路の道すがら夏の夕暮れに咲く花、『夕顔』に出会いました。いいえ若しかしたら夕顔に似た花だったのかもしれません。幼い日々を暮らした早稲田の家の庭、沢山の花が咲いていました。縁側で祖母と遊ぶ私がいました。今の私、祖母よりもう5年も多く生きています。さて、どうした事か今夜は心穏やかです。昼間お邪魔したT子さんの御宅、あの居心地の良さが未だ続いているようです。「T子さん有難う~ございます。私、命の洗濯が出来ました!!


nice!(8)  コメント(0) 

発想の転換 [歌謡教室]

開設6年目に入った私の教室です。開設は2014年の夏でしたが、実際に生徒さんが見え始めたのは翌年からでした。それでも翌年の2015年の5月には初めての公開講座を開くことができました。その後は、みるみると生徒さんの数も伸び、講師も私だけでは間に合わぬ程になりました。

P4030157.yy88.1600.JPG

そして、2020年に入ると、コロナの問題が勃発。数カ月の休業自粛もしましたが、いつの間にかスタートに戻ったようです。私は「歌と健康」をテーマにして年一回公開講座を4年連続で催していますが、お陰様でいつも大好評でした。しかし川越駅付近には当然、大手の音楽スタジオなどもあり、競合する場合もあります。

P4030185.yy88.1600.JPG

何とも弱気の話ですが、もう少し若ければ銀行からの融資などを利用して新しい形の歌謡教室を継続して行けるのですが、今の年齢では無理のようです。自費でリモートレッスンの設備を整える事も出来ず、それこそ五里霧中です。それでもまだまだ生きて生きて、生き抜きたいと思っています。

P4030158.yy881600.JPG

それは祖父母や両親などの想いをまだ断ち切れないからです。私が生まれたのは1943年、東京が東京市から東京都になった年です。父の想いが私の名前になり、後に歌手名にもなりました。そして父が一番望んでいた文筆の仕事の一つ、作詞家にも今年なりました。

PA310117.yy88.1600.JPG

漸く恩返しの年が巡って来たと思ったのもつかの間、今の環境で進むことは無理のようです。只できることは、今までの経験をさらに濃いものにする事。幸い時間はいっぱいあります。自分でも気が付かない生き方、特技、そんなものの掘り起こしてみてもいいですね。

P4070289yy88.1600.JPG
nice!(11)  コメント(0) 

ビールで乾杯 [歌謡教室]

夕暮れの街、時間は午後4時。ほぼ一年ぶりに此処へ来た私、かなり広い店内には私とTKさん。朝の電話で、私はここにしようと決めていました。窓際が大好きな私と、下を眺めるのが怖いというTKさん。お客さんはパラパラとしか見えません。中村屋の野菜カレーをよく食べに来た店です。

P1010462.2020.12.16.1600.JPG

今日は、私もTKさんもカレー。私はデミグラスソースで、TKさんは和風で。ビールで乾杯しました。「こうして、いろいろ歌えるようになったのも先生の御蔭です」と言って頂いたとき、それはそれは感激でした。女同士ですから、話題は尽きないほどあります。しかし、名残惜しい気持ちを抑えて、早めに帰宅しました。

P1010469.yy88.1600.abc.jpg

12月に入ってから、周囲に大きな変化がありました。一時はおろおろしましたが、今は心も決まって穏やかに過ごしています。怪我の功名というのは大袈裟ですが、忘れかけていた或ることを思い出しました。もう少しで、絶望の坩堝に入りそうだった私ですが、「そうだ、もう一度挑戦してみよう~」心を動かしたのは一通のレター。11月の中旬に来たものですが、締切日ギリギリに返信しました。

P1010457.yy88.1600.JPG

受諾のお返事を頂き、早速手続きをしました。そうでした。私にはまだまだ生きるための努力目標はあったのです。もう一度やってみよう。もう一度夢を見てみよう。この先が長かろうと、短かろうと私には大切な資格があったのです。後は努力と縁と運。毎日空ばかり見ていた私ですが、これからは万年筆と原稿用紙。勿論教室も続けます。皆様も是非、応援してくださいませ。








nice!(13)  コメント(0) 

空飛ぶ伝令 [歌謡教室]

まさかのまさかの、コロナの日々。今回もまたまた大騒動が勃発。私にとっての『大事』が起こった前日、こんな空模様が写真に納まっていました。撮影年月日は2020.9.11。その一か月後の2020.10.12、今回も大きな事件が身の回りに起こっていたのです。きっとあの竜は伝令だったのですね。

P9110011.yy88.1600.JPG

その事件は、コロナ時代ゆえに、更に悩みが深くなりなりました。Y女は84才のご高齢。この街で名だたる美女だと,ご本人は言っています。そのY女が突然牙をむき出しにして、教室へ奇襲。お供にはシニア男性が3名。

PA161595.yy88.1600.JPG

「今度此処に来ることになったからね!」。「ここに?」と私はつぶやきましたが、その私にはお構い
なく、男性たちは椅子に座り、Y女は、彼らに「歌ってみたら…」。ワイワイガヤガヤ。そいて極めつけは『来月からここを(教室)を使うから』と、いう耳を疑る言葉に私は絶句。

PA161552.yy88.1600.JPG

男性たちは一曲づづ歌って、私への質問を矢継ぎ早に。「何で、どうなっているの?」部屋のオーナーから許可済みだと、Y女が私に数回告げる。「まさか?」そう思いながら、飲み物を欲しがるお客さん方へ飲み物を提供するために、エレベーターで外へ出る私。

P9110012.yy88.1600.JPG

男性たちが飲んでいる間に、Y女は私にこう言いました。ここを彼女の店をとしたので、来月からここに来ると。来月は土曜日、4回をすでに借りてある。一緒に来たお客さん達の(歌の会)するとの事。しかし私は、同行の男性の言葉が、特に気にかかる。

PA161590.y88.1600.01.JPG

その言葉とは、「教室は週5日(月)~(金)、12:00~18:00迄です。」私がそう告げると、「其れじゃ出来ないじゃないか、もっと早い時間から使いたい」と。「えっつ、平日も使うの?」頭がガーンとなって、倒れそうな私。その後数日は眠れず、食べられず。いたたまれない気持ちのまま、10月16日金曜日が来ました。

P9110013.yy88.1600.JPG

自分の心を奮い立たせて教室へ。Mさんがお休みなので、独りで自主トレ。声が震えます。如何したらいいか、何処へ行けばいいのか、それとも…。ようやく軌道乗った筈だったのに。あれは私の蜃気楼?

PA160295.yy88.1600.JPG

その時です。練習を録音しているⅠCレコダーから、奇襲当日の様子が突然始まりました。驚きました。なんと私が知らない内容まで語られていたのです。飲み物を買いに階下の販売機まで行った数分で彼女が話す声です。その声がすべて録音されていたのです。「ああ、きっとお母さんかも知れない、いいえ、お父さん?」亡くなった親からのテレパシーが私に気づかせてくれたのかもしれません。

P9110015.yy88.1600.JPG

その結果分かったことは、土曜日はもちろんの事、その他の時間も使うらしいこと。「あの先生はどうするんだい?」と一人の男性が聞くと、「追い出すから」と。Y女は語っています。一度は愕然とした私ですが、何度も聞き直した結果、今は、成り行きに任そうと思うに至りました。私の目標はひとつ。まだまだ未来があると信じます。母や父や祖母に祖父。きっと亡くなった夫も。何かアイデアはあるかもしれません。


nice!(11)  コメント(0) 

ジャスミンテーはお好き? [歌謡教室]

眠れない夜が続きました。私の人生はこれで終わり( ;∀;)。 そんなある日、『越えていこう、川越』のポスターを見た生徒のTさん、「先生!ポスターにおじぎしちゃった!」私「えっ?」、「だって先生が写っていて、思わず…」。私はビックリしたり嬉しかったり。そう、確かに外で私が活躍する事、生徒さんは喜んで下さいます。

P8200410 (3).02.yy88.1600.jpg

しかし今の時代、お金を掛けづに、活躍する事って、無理な気がします。まして今の年齢になってからではもう遅いとも思うこの頃の私。日々2時間という自主トレは切らさず続けています。しかし日によって、お天気の具合によって、思うように歌えない日もあります。

P6300441.yy88.1600.JPG

そんな日は、昔好きだった歌や、昔覚えたいと思った歌を歌ってみます。すると「案外いいじゃない!」なんて何処からか声が聞こえてきます。その日はそれで満足。そして来る日も来る日も歌います。今日も古い古い歌を歌いました。思ったより上手く歌えた気がしました。ダダそれだけの事。

PC010364.yy88.1600.JPG

家に帰り、乾いた喉を潤すのはいつも珈琲。でも今日は違いました。綺麗なパッケージのそのお茶は茉莉花茶、大好きなジャスミンティーです。このお茶、最初に教えてくれたの母でした。大正4年生まれの母、明治43年生まれの父。昭和生まれの私は今、秋の夜を一人ジャスミンテイーを飲んでいます。

nice!(11)  コメント(0) 

蠅とポスター [歌謡教室]

数日前から蠅がうるさく飛んでいます。こう見えても私、案外、身の回りは清潔にしているのに。「五月ならまだしも、いまは7月なのに…その五月蠅いハエが。最近はハエ叩きなど、はありませんものね。今夜は久しぶりにマスクをまた縫い始めました。夏用です。

P1140573.02aa.1600.a.jpg

さて、コロナ報道がまた一段と熱を帯びてきましたね。再起動したばかりの私の教室。今後はどうなるのかまた頭痛の種が増えました。そんな中ですが、先日突然ポスターを作ることになりました。その写真を見つけるのに大変!最近は殆ど着物を着ませんけれど、折角ですからポスターには昔のように着物姿の私をと。何枚かの写真をお渡し制作の方に選んで頂きました。十数年ぶりに作るポスター。どんな風に仕上がるか楽しみです。

P7170387.y88.1600 - コピー.JPG




nice!(14)  コメント(0) 

初めての検温 [歌謡教室]

週末は、亡きワンちゃんたちのお墓参りと思っていたのですが、購入したパソコンと、使用中のパソコンを比べながら悩んでいました。使い慣れたほうがタイピングも楽だし、嬉しい反面、戸惑いもありました。

P6021547.yy88.1600.JPG

毎日ニュースで見るコロナの感染者数、益々油断できないですね。しかし声を出して歌を指導するのが歌謡教室のスタンダードである以上、私はどうしたいのか…。等々、折角の上天気だった今日も心は晴れません。

P5260997.yy88.1600.JPG

夕方、近所のユニクロへ。入り口に検温の方がいました。手首にポチっと。其のおかげて幾らか安く買えたようです。帰宅後は久しぶりのお刺身。一杯飲みたいところですが、家でも外でもほとんど飲みませんから、お刺身と枝豆で夕飯済ませました。

PC150017.yy88.1500.jpg

こういうのを侘しい…、そういう表現に相応しいシーンですね。さてさて6月に休講を解除して一ヵ月と20日。以前から比べると来校者は3割程になっています。このまま続けられるのか、コロナだけが原因ではないかも知れません。しかし若しかしたらこれがチャンスかもしれないとも思っています。何かを始めるのには良いチャンスかもしれません。

P5260991.yy88.1600.JPG

中古ですがパソコンを一台増やしました。Webカメラとかを買って、三脚も買って。またまだ必要なものがあるようですが、兎に角、始めます。レクチャーが本題ではありません。生き抜くことが目的です。今の儘では何も完結せずに、生まれてきた意味まで見えなくなりそうです。孤独という坩堝に入ってしまうと、生きていてもその実感の無い日々が過ぎてゆきます。手応えのある暮らしの為には人並み以上の努力しかないですね。
nice!(10)  コメント(0) 

歌は語れ、その実践 [歌謡教室]

難しいテーマです。もう6年間同じことを言い続けてきましたが、私自身を含め言うは易しですね。そんなことを想いながら、誰もいない教室で独り歌ってみました。今日は喝采。長い事、歌っている筈なのに、録音を聞き返して見れば、人に言うより先ず自分かなと…。しかし母は違いました。詩吟を長く習っていたようですが、声もいいし、言葉が生きています。母は神楽坂はんこさんや、音丸さん、五月みどりさんの歌をよく歌ていましたが、親を褒めるのは恥ずかしいですが、本当に上手かった。
P6220994.yy88.1600.JPG

私も小さいころから聞いたり教わったりしたのに。声の色は全く似てはいません。若いころは『声がチャーミングだね」とか言われて有頂天になったりしたけれど(笑)それは遠い昔の話。今は歌謡教室の先生、声の出し方が云々と毎日毎日生徒さんに申し上げて、お願いしています。何処が気になるのかといいますと、言葉が意味不明になることがあるのです。何故って、つまりメロディーが気になって言葉を言うのではなく、文字をなぞっている感じになります。私自身もそうでした。

P6220996.yy88.1600.JPG

言葉で歌う事って難しくは無いのです。何故できないのか?それはどうしても画面を見て歌うから仕方が無いのですが、一寸考えてみれば、ああそうか!と、思われる方が多いと思います。実は私も、指導者になってみて、沢山の方の歌い方を見聞きしてようやく理解出来てきました。

P6220999.yy88.1600.JPG

今回、ネットからの生徒さん募集と、チラシやポスターからの募集の2つの方法で、教室の今後を占ってみました。しかし一番印象に残るのは講演形式だそうです。毎回、とても喜んで頂いています。私も『三密』さえクリアー出来たら、月に一度ぐらいの割合で講演会したいと思っています。    
 
※写真は毎日お参りしている川越八幡宮の紫陽花。


nice!(7)  コメント(0) 

雷さん [歌謡教室]

怖い夢にうなされて目が覚めました。一昨晩も怖い夢だったのです。2日続けてみた夢には大勢の男女が出てきます。でも結局私は一人ぼっちで、茫然と佇んでいました。

P4280092.yy88.1600.JPG

正夢にならない様、今朝は仏壇の大掃除をすることに。沢山ある位牌をピカピカになるまで掃除しました。その後、庭に出てペチュニアの鉢植えを陽にあて、新緑の柏葉アジサイや紫陽花の花芽をそっと探してみました。ありました…。今年はきっと沢山咲いてくれそうです。

P4280101.yy88.1600.JPG

また一番日当たりの悪い場所に植わっているツツジ、今年はなんと沢山の枝に綺麗な花が咲き始めています。その一枝を切って仏壇に供えました。此処に住んで5回目の初夏を迎えます。

P4280091yy88.1600.JPG

しかし嬉しい事ばかりではありません。新型コロナの為、漸く軌道に乗り始めた教室、4月だけでなく5月も自粛です。2か月連続ですので、これからの暮らし向きが心配です。おまけに1年契約のネット広告も2月に契約してあったので、その費用も掛かります。

P4280046.yy88.1600.JPG

悶々とした日々、ひたすら自家用のマスクづくりの日々です。お陰で全く忘れていた運針が上達しました。手先の仕事は脳にも良いので取り合えず続けてみます。

P4280075.yy88.1600.JPG

午後、軽い散歩に手掛けました。駅まで片道5分ですから、野菜や果物の買い物時間を入れても20分程度。わずかな憩いの時間も終わり家路に急ぐ私。その時、一転俄かに夕立ち…。と同時に雷鳴が。そのとたん私、なんだかウキウキしてきました。

P4280065.yy88.1600.JPG

そう雷さんとは随分あっていない気がしていたので、あの頃の日々を思い出して嬉しかったのです。早稲田に居た頃、私と祖母は何時も雷さんが鳴ると蚊帳に駆け込みます。二人とも怖がり。「都、頭から布団かぶっているんだよ…」祖母はいつもそう言いました。真剣にそう思っていたようです。

P4280051.yy88.1600.JPG

その怖い雷さん!何故か今は懐かしく、嬉しくさえ思えるのです。歳月は人を変える、いいえ歳月は、歳月は、愛しい日々のパッケージ。
nice!(9)  コメント(0) 

マスク、されどマスク。 [歌謡教室]

今日もマスク探し、出かけるたびに失意のどん底に。近所からスタートして、かなりの距離を血眼でマスク探し。しかし当然のように何処にもないと言われます。せめて手作りの材料をと、其の事も考慮して求め歩きました。しかし手作りマスクに必要なガーゼーも細いゴム紐も全くありません。一度にたくさん買って行く人が多いとか。朝ご飯も食べずにドラグストアーやスーパー、薬局等々、考えられる限りを2時間半かけて歩きました。
P3140921.yy88.1600.JPG
数日前7年続いていたfacebokに投稿した時、無ければ作ったら…というご意見いただいたのです。しかしその時私は、漠然とですがある危機感を感じていたのです。報道で言う事と、実際の姿の食い違い。マスク入手のルートはもはや民間単位では無理な状態になっている事に、危機感を感じたのです。ですからお店では案外気楽に無いですと断り続けているのではと。何故、マスクを潤沢に流通させて欲しいと言わないのでしょうか。
P3140933yy88.02.1600.JPG
私はどうしてもこのウイルスの猛威は、まだまだ続く気がします。街ではマスクをしていても激しく咳をしている人を良く見かけます。今の時期、花粉症とも重なっていますが、かなり多く見かけます。何時どこで誰が感染するか分からない以上、マスクは誰にも必要です。TVの報道ではマスクは危険な方が他の人に移さないようには必要だが、其れよりは手洗いがもっと必要。そのような趣旨のお話されていました。しかし行き交う人の誰が感染者なのか保菌者なのか分かろう筈がありません。やっぱり誰もがマスクは絶対に必要だと私は思います。感染したことが分からないで出歩く場合もありますね。現状ではマスクは必須にしておかないと、後から幾ら手を洗ってもうがいをしても間に合わないのではと思います。
P3140923.yy88.1600.JPG
勿論、手を洗う事は皆が守らなくてはならない事ですが。私は何時自分かうつす側になるのか,うつされる側になるのかが分からない以上、やっぱりマスクを使用することが今の事態をこれ以上進めないための大切なファクターだと思うのですが。案外,市井の一個人には無視されている気がします。

nice!(11)  コメント(0) 
前の10件 | - 歌謡教室 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。