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銀杏並木に… [シンガー]

あぁ~、どうしてこんなに思い出されるのでしょう。はらはらと風に舞う銀杏の並木道。私の人生で思い出の銀杏並木は2ケ所あります。一か所は7歳まで住んでいた音羽通りの銀杏並木。もう一つは北浦和の二木屋さん(薪能鑑賞)への道でした。音羽通りは4歳の私が毎日歩いた大通り。そして北浦和の銀杏並木は人生最後のメルヘンでした。


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遠い日の思い出は幾つになっても麗しいものですが、目を転じて、今を直視してみると、私の2021年は最悪な年になってしまいました。お正月から何となく不具合も多く、理由が見えない程の異文化からのクレーム。事情も分からないまま、自分が今までの位置から追い出されるような不安を感じていました。そしてあの事件が4月29日に起ります。


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住まいのマンションの隣室に、A子が転入して数日後、庭で猫をせっかんする彼女を発見。その暴力を注意した事から、あの恐ろしいA子から私への暴力の日々が始まりました。猫への足蹴りから始まり、翌日は弱電流を流して退治する猫よけ柵の設置。


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何という人なのでしょうか。猫を蹴り上げた他に、今度は電流でショックを与えられた三毛ちゃん。数日は動けなくなり、ボランテアさんの看病受けた模様。私が心配で見に行った時も、雨に濡れたわけでもないのに、体中がべっとりとなり、綺麗な毛並みが体に巻き付いた感じ。身動きも出来ない様子でした。余りの残酷な姿に、庭越しに『柵を外して欲しい』とA子に伝えた私です。


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其処から暴力がはじまり、①自転車を脇腹にぶつけられた。②洗濯物を干していた私の頭上にA子から太い物干し竿。強烈な打撲を右側頭上に。③マンション玄関のガラスドア、その枠で私の胸を強打したA子。④庭で写真を撮っていた私の右耳に、強烈な音響。救急車のような音が耳をつんざくように入って来た。(この件は翌日耳鼻科。)


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つづき、 ⓹6/24夜、8時ごろ2人の男性がドアを叩き、所要があると導かれたマンションエントランス、待ち構えていたA子は私の右手首をひっぱり、その後爪で血管をつまみ上げ捻じる。何回も何回も薄笑いを浮かべて暴力を続けるA子です。その後、手首の脈を図る辺りを、爪で縦に切る格好を。手首への痛みで気絶しそうになった私をみながら、さらに暴力を繰り返しました。余りの痛さに悲鳴を上げた私の手のひらに、携帯電話を載せてその暴力が終わりました。携帯電話の主は彼女の上役。私は翌日、警察へ行ってこの手頸への暴力を訴えました。

 



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今の体力では何処かに移転をして自力で生きる事はもう無理かもしれません。しかしこのような結末を迎える自分の生き方、大いに反省です。私はこれから何処をさ迷うのでしょうか。いったい何処へ行こうというのでしょうか。神のみぞ知る。

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女には『越えられない山』がある。 [黄昏は麗しく]

毎日のように、まるで仮死状態になる私。そろそろ年貢の納め時なのでしょうか。隣室の鬼女の攻撃を受けた日々から4カ月経ちました。彼女のスポンサーから先日、「A子は貴方が言うほどひどい事はしていない!」と言われました。どうじに「出て行け!」とも。いつでも彼女をかばうのです。仕方ないですね。わたしには男女の機微は分からないようです。

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何回も何回も警察へ届けても証拠が無いと言われ続けました。その為、彼女の暴力は続きました。しかし6月24日の手首への暴力では、彼女の会社の男性2人が同席していたのです。これにはびっくり。この事は立派な証拠の筈ですが。許せない事例です。

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用事があるからと迎えに来た2名の男性。ついてゆくとA子が玄関ドアの所にいました。吃驚した私の不意を突いたA子は、私の右手首を自分の脇腹近くに強くひっぱり、手首を表にしたり裏にしたりと。彼女がこのような特技を持つことが何故できたのか、後に知った私ですが。その時はただ怯えて身を細めて佇んでいました。

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手首の骨をぐいぐい締め付けたり、脈を取る辺りの血管を指でつまみ強く捻じったり、爪で押したりと、痛すぎて声も出ず頭がぼーとなりました。また息苦しくて倒れそうでした。かなり長い時間を痛めつけられていた気がします。A子は薄笑いを浮かべたり、恍惚状態になっていました。私は痛いのですが、不気味な彼女の行動に、女の内にあるおどろおどろした何かを感じました。征服欲のようなものです。

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その彼女からの暴行回数は7回。どれもが後遺症になって体が痛みなす。すぐお医者さんへ行かなかった私が悔いられますが、あの頃、何処の医院もコロナで大忙し、かかりつけのない私には行くあてもありませんでした。今、4カ月が経ちますが、私はまるで,囚人のように、彼女の監視を受けています。彼女からの申し出があり、彼女のスポンサーは、私の行動を彼女が分るようにと、監視カメラを彼女の玄関ドアに付けました。彼女の室内からでも見えるそうです。そのせいで、何回か追いかけまわされました。

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この異常な暮らしから逃げたくもあり、長い事、暮らしたこの部屋への未練もある私ですが、市営住宅・県営住宅などへの移転も考えてみました。しかし調べてみると、たとえ抽選に当たっても費用がかかり、今の私の収入では暮らしが成り立ちません。そうした日々に何回も何回も死を考えました。夫亡き後にも考えなかったことですが、殺されるくらいなら自分で…等と。然し出来ませんね。折角78歳迄来られたのに、まだまだ働けるし、もっと生きて居たいです。

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彼女には法の裁きを受けて欲しいです。彼女の行為は自分の欲求を紛らす為の行為だそうです。この暴力を擁護する人々は、私が彼女を虐めて泣かせているから、私を追い出すと言います。この意味不明な論理。彼女は68歳の大人です。何故いじめられた等と言って泣かなくてはいけないのでしょか。その事こそが、彼女が病気ではないかと私が疑う所以です。
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私の中の長崎物語(その2) [回想]

長崎生まれの父と、東京生まれの母の間に生まれた私、20歳の時、母に連れられ長崎に行きました。あまり記憶が無いのですが、駅からは歩いてゆける距離だった気がします。長崎県長崎市麴屋町は寺町通の直ぐ傍です。父の実家はそこにありました。母が結婚した戦前と呼ばれる昭和初期頃、この実家は作家さんなどの定宿として広い家を構えていたそうです。 collage.miyako.300.jpg あの日の事はこのブログで何回も書きましたが、父の実家では父の実母の姉(養母)に会っただけ。滞在時間5分程でした。私は,悲しくて、やりきれなくて。母が可哀そうだと思いました。本当は市役所に勤めていたらしい、父の弟さんに逢いたかった私。 collage.miyako88.300.jpg そんな長崎を後にして、私たちはとんぼ返りすることに。ただ、数件の観光地には行ったと思います。 その一つはグラバー邸。もう一つは父の実家の目の前にあったシナ寺と呼ばれる大きな大きなお寺。龍踊などで有名なところのようです。 collage.miyako09.24.aa.300.jpg
私の中にある長崎はあの日の儘ですが、今は大きく様変わりしている事でしょうね。もう一度訪ねてみたい長崎。父が生まれた平戸へも行ってみたいです。ちなみに父の生まれたときの苗字は平戸。そして私が今住んでいる庭で優雅に咲く大きな花弁のツツジが、平戸つつじです。

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