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どくだみの花 [黄昏は麗しく]

丸7年間住んだマンションの庭。最近は雑草が生えることは少なくなった反面、「どくだみ」が随分、生えるようになりました。数日前、白い花をつけた「どくだみ」を数本抜いて、部屋のテーブルに飾ってみました。ところがどうでしょう、とても雑草などとは思えないほど、存在感があって素敵です。


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今日はその『どくだみ』にまつわるお話です。私が小学生になった頃、私たち一家は引っ越しをしました。移転先は新宿区早稲田鶴巻町。あの早稲田大学から、幼い私が歩いても10分たらずの場所でした。当時は平屋の、商店のような造りの家、広い土間がありその奥には6畳が二間の家でした。トイレも汲み取りだったと記憶しています。時代は昭和26年頃だと思います。小学性低学年だった私は、鶴巻町の家から、文京区立青柳小学校まで、電車通学していました。早稲田鶴巻町から都電に乗って、江戸川橋で降り、また都電に乗り換え護国寺で降ります。電車では幼稚園児?とよく聞かれていました。そのせいか、いつも車掌さんの傍に置いて頂いた記憶があります。


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やがて早稲田小学校に転校、しかしそこも一年余りで、今度は家の近くの鶴巻小学校へ転向。早大の大隈講堂から数分の場所にその小学校はありました。鶴巻小学校では4年から卒業まで、担当は根本先生。給食が食べられなかった私のお昼は、祖母が届けてくれる暖かいお弁当。皆が食べ終わって運動場で遊んでいる間に、先生の傍で食べていました。同級生と給食を共にしたのは、5年生になった頃からでした。


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生まれてから私が17歳になるまで、いつも一緒だった祖母みよ。生まれは茨城ですが、しばらくして東京の九段に住むことになったそうです。祖父は郵便局へ勤めていたそうです。母には兄がいたのですが、20歳で亡くなったそうで、母が一家の柱として頑張ったのも、その祖母への思いやりだったと、今になって、しみじみ思います。


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昭和27年2学期、私は早稲田小学校へ転校。その頃には、早稲田鶴巻町の家も大工さんの手が入り、庭の一部には離れもできました。そこは、幼い私には、ほどんど入れない部屋でした。6畳、4畳半の2部屋がある離れは、丸窓や障子、床の間のある洒落た作りになっていました。離れを増築する以前は、敷地の半分以上が広い庭で、四季の花が咲く私の遊び場でもありました。


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祖母はその庭に、四季折々の花を植えていたようで、私もそこで花達と遊ぶのが何よりの楽しみでした。しかし母の離れが出来てからは、庭も小さくなり、母屋と離れの間に残った中庭だけになりました。母屋から離れまでは渡り廊下があり、右側にお風呂場、左が中庭になていました。幼い日に縁側で過ごした祖母とのひと時、本当に懐かしく、あのまま時代が過ぎてほしかった!今でもそう思うことがあります。


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今思えば私が祖母から言われて飲んでいた『どくだみ茶』も祖母が私のために干して、煎じて、作ってくれたものでした。私が小学生の頃、学校から帰ると祖母はいつもこう言いました。「みやこ、これ飲んでおきなさい、女の子は肌が綺麗になるからね」。そんな言い方だったと思います。確かに15歳になった頃から私の顔にはニキビもなく、色白ではないのですが、きめの細かい肌になりました。毎年毎年夏の頃になると祖母の作った『どくだみ茶』を飲むのが私の楽しみでした。あれから、半世紀を超えて私はまた生きています。


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今年の八月がくると、私、なんと七十九歳になります。自分でも本当に驚いています。しかし顔にはクスミと皺が。そこで思い出したのが『どくだみ茶』。今年こそ庭のどくだみを煎じて『どくだみ茶』を飲用してみよう~。祖母の大きくて暖かい手が、あの温もりがいつまでも、いつまでも恋しい~私です。

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