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女心が騒ぎます。 [歌手Miyako]

また一つ歳をとります。今更、誕生日を祝うほどでもありませんが、しかし私は幾つになっても祝って欲しいです(笑)。そこで、毎回の誕生日には後々まで残るものを自分で自分にプレゼントします。今年は何にしようかといろいろ考えたのですが、どうしてもこの世にやり残した事が一つあります。それはオリジイナルCDに入っているあの曲、「小江戸桜」同様にカラオケに入れることです。


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勿論費用が掛かる事なので、今日明日とは行きませんが、今回は命をかけてもカラオケで歌って頂けるようにしたいのです。私の体は、一年間にも亘るあの暴行でボロボロですが、何とか体力を戻して、最後の仕事をしたいと思います。日本中のカラオケから、この曲が流れるのだと思うと、体の痛みも忘れ、心が弾みます。


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ピザと銀座の緩い話 [歌手Miyako]

桜も咲き、ツツジも咲き、いつもの春ならば私は街の方々にある桜の名所を回っていました。しかし2022年の春は、2021年4月から始まった暴力に、この体も心も憔悴しきって、桜見物はほんの真似事だけ。何とも侘しい、なんとも悔しいまま、初夏のおとつれを感じる今日この頃。今夜はピザなど食べながらブログを綴ります。

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もう何年前になるのでしょうか、連れ合いの武が突然、会社を起こしました。私への相談もなく突然です。その頃の私は東京の会社から地元の会社へ移っており、輸入住宅の営業をしていました。家づくりには自宅の都合で数回に及ぶ経験もあり、建築士の学科試験は一度で合格。しかし製図の勉強は付け焼き刃では通りませんでした。


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数人で始めた会社でしたが、時代の風が吹いて、私たちの会社はアッと今に認知されてゆき、輸入住宅をメインに不動産の売買にも手を広げてゆきました。当時は母、アルツハイマーという診断を受け、特養に入所。新設されたばかりの特養は、小手指にありました。80歳になった母は、最初は戸惑っていましたが、新設されたばかりのホテルのような建物での暮らしに、少しずつ慣れてくれたのでした。

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川越から小手指へは車で通った私。当時はホンダのインスパイアーを乗っていました。初心者の時代から車はいつもホンダ。小さな体に大きな車を運転していた私でした。特養にお世話になってからも『母の愛犬マリちゃん』を一緒に乗せて小手指まで通いました。入所する前の母とは、この車で時々外出していたのですが、母はいつも後部座席、思い出の写真が一枚あった筈なのですが。


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現在の私は川越市に住まっておりますが、幼いころの母との思い出は殆どが銀座にあります。母の新婚時代は昭和の一桁時代になります。その母が父と出会ったのも旧丸ビルの喫茶店で。ビルの中にあった経済情報社という会社に父は努めていたのです。当時父の住まいも銀座、壱丁目にあるアパートメントで新婚の二人は暮らしたそうです。その後九段下の母の両親の近くにと、文京区竹島町に転居。私が生まれました。空襲で家を焼かれてからの、一家は音羽通りに面した知人宅の2階で間借り生活。傍には講談社もあり、父は記事を載せていたそうです。


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話を本題へ戻しますね。母と父のルーツは銀座、銀座です。したがって母の銀座愛は本物です。夫亡き後の母は

銀座・日本橋界隈に仕事を見つけ、私は幼稚園児の頃から母と二人で銀座ちょくちょく出かけました。主にデパートやレストラン、和装小物のお店等です。四丁目、歌舞伎座近くにある履物のお店へもよく立ち寄りました。20代にの頃、私が愛用した草履もそこで買っていました。履き心地のよい草履でした。また月ヶ瀬(コックドール)というお店にも必ず立ち寄りました。


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今思えば本当に贅沢な暮らしでした。しかし母は私が幼い頃から、父と出会い父と暮らしたこの街を、その何かを私に見せて於きたかったようでした。10代後半からの私の数奇な運命、それは図らずも、九段や銀座などという、母の歩んだ道を辿ることになります。この話はまたいつか、書いてみたいと思っております。さてピザの話でしたね。


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私の亡夫、武はピザが大好物でした。お酒もほとんど飲まない人でしたが、おいしいピザ屋さんを見つけてはかなり通いました。たしかにお店によって、生地も中身もスパイスも違いますね。昨晩の私はそのピザを無性に食べたくなりました。それから理由もないのに、沢山の思い出が洪水のごとく流れ出し、意識が薄れてゆくようでした。気が付けば午前2時半、冷めたビザがテーブルに。残りは翌朝、フライパンで温め食べきりました。


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私がピザを食べたかったのか、亡き夫が計らってくれたのかが定かではありませんが。その日、私は完全に立場も今後の生き方も、すっかり忘れてひたすらピザを食べたかったのです。大きな箱に入ったピザ。なんだか家族がいるような気がして、とても楽しい気持ちになりました。母の笑顔が涙の向こうに光ります。



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発想の転換してみました。 [歌手Miyako]

忙しい一日が静寂の中で更けてゆきます。ああよかった!何とか今日は無事でした。家から一歩も出ないで過ごしました。昨日は方向を変えて自分を見つめる日にしてみました。そのきっかけは一昨日の嬉しい出来事です。生徒さんから頂いたお誕生日プレゼント。とても嬉しかったです。そして危機一髪のタイミングで、私は目を覚ましたのです。4月29日から続いた信じられないような出来事に、恐怖の為、脳の働きが止まって物事を進める気力も失っていたのでした。

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可愛い手編みの籠の中には美味しそうなクッキーが。パッケージには綺麗な三種類のリボンが。乙女の心そのままのバースディプレゼント。あと一か月で78歳になる私は、勿論大喜びです。きっと此処数週間の私を見ていたので、辛そうな私を慰めようと「一か月、早かったかしら?」とウイット言って、とびきり美味しいクッキーで慰めて下さったのだと。

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誕生日を意識できたことで、私は気持ちの整理が出来ました。早速、翌日は午前中から外出。行く先は法律家と心理学者に逢える場所へ。専門の先生方のお話を伺い、今まで茫洋としか見えなかった彼女(私へ暴力を振るう彼女)の心が少し見えてきた気がしました。

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私が怖いという彼女の言葉の裏には、彼女しか分からない過去の問題があるのかも知れません。しかし分からない事は、標的が何故私なのか、私への暴力を振る事で、どうなると言うのでしょうか?なかなか理解できない私でした。

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両先生のお話を聞いてゆくうちに、人の心はその人の過去から来ているのだと思いました。彼女の暴力行為は今始まったのではなく、所謂、性癖なのかもしれないと私は思いました。彼女の場合、暴力の相手は誰にでも構わないのでは? そう思うには根拠があるのです。 暴力行為するとき、彼女はいつも笑っている。何回もその顔を観た私は、不気味に思っていたのでした。先生方のアドバイスは近づかずかぬように。怖かったら直ぐ110番へ。

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帰路、どしゃ降りの雨の中で私は思いました。ああ我が人生は幸せだった。人への暴行を考えたくなるような、そんな辛いことは殆どありませんでした。自立してからの30代.40代になってからも仕事に恵まれ、働くことが楽しくて仕方ない人生でした。

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夫と死別し、沢山の負債を背負った時も、数年は辛かったこともありましたが、この地へ来てからは何事もなく6年間の穏やかな暮らしが続いていました。今回の事は今まで気が付かなかった、人の心の影の部分、その力の大きさを知ることになりました。恨まれたり憎まれたり、そんな行動をしたつもりはなくても、人がそう思う事が有るのが人生なのだと、今回は勉強しました。

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今後の暮らしについては、全く白紙です。今後、彼女からの暴力が無くなる等とは思いません。しかし別の暮らしをスタートさせる資金もありません。ただ一つ言えることは暴力は絶対してはいけないという事です。人の体をほんのわずかでも傷つける行為は、自らも滅ぼす行為であること、誰かが彼女に教えてあげたらいいのに…心からそう思います。






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命の期限 [歌手Miyako]

P3280120.yy88.1600.aa.JPG 哀しみも限界になると、開き直りが生まれる様です。「エィ、儘よ」そんな内なる声が聴こえてきました。早速,行動に移した私。これからは出来るだけこの街の事を知ろう~、そこで今日は自宅から見て北へ、午後1時スタートで、約2時間半。スタート地点の川越市役所までは、本川越駅前からバスで。 P5313767.yy88.1600.JPG 川越市役所で用事を済ませ、空を見上げると、沢山の入道雲。「そうか、雲をめがけて歩いてみよう」ふとそう思いました。市役所出口から左手になります。かなり緩やかな下りです。一つ目の信号は郭町と書いてありました。実は私、この郭町へどうしても行って見たいと思っていた所でしたので、その偶然に吃驚しました。今の郭町は道も広く、50年程前に来た時とはまるで違っていました。 P5313748.yy88.1600.JPG 其れは其の筈ですね。何といっても半世紀前に一度来ただけなのですから(笑) 大きな道路に整然と立ち並ぶお洒落な家並み。そして私はもと来た道を戻ることに。そこで見つけたのは『川越川越城中ノ門堀跡』早速、開いている門から入ると綺麗な紫陽花が。目の前の柵の下がお堀になります。お堀に水はありませんが。 P5313736.yy88.1600.JPG 其処からは感を頼りに歩きました。迷子になりながらも楽しく歩きました。題して『Miyakoの裏通り散歩』と、自画自賛。時の鐘、商工会議所、蓮馨寺等も、この足で、しっかり見てきました。ところがどうしたことか、気が付けば、六軒町という町に居た私。六軒町は川越市駅に近い町、私の記憶にはそうありました。何故、方角を見失ったにか分かりませんが、驚きました。その後綺麗な並木道のある教会に辿り着きました。そこは川越カトリック教会と書いてありました。お庭にある綺麗なお花を拝見して、再び歩き始めると、漸くバス通りへ出たので、ふぉっと胸をなでおろしました。 P5313745.yy88.1600.JPG その後、蓮馨寺、川越熊野神社を経て出発点、西武線本川越駅に到着。12時30に、この駅からスタートした私。到着時間は3時ですので、蓮馨寺で15分、市役所で30分。すると訳1時間45分を歩いたことになります。帰宅してみると、案外疲れは感じていませんでした。カメラに収めた今日の思い出。とても有意義な時間でした。生きることは食べる事ではなく、若しかしたら、歩く事なのかも知れませんね。

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ハラスメントじゃないの? [歌手Miyako]

夜が更けるほどに悲しみが強くなります。2日前の日曜日。私は近所で歌うことに。その場所は、広場の中の野外ステージ。風の強い日でした。午後からのステージには歌手や色々な芸人さんが見えています。しかし私の知り合いは見当たりません。音響さんに名前を告げ、出番を聴くと、今は別の人たちが歌うから駄目だと。 P4170519.yy88.1600.JPG 一時間後との約束でいったん戻り、再度,いって見るとまた別の方が歌ていました。やっと「あんただよ」と。そこは噴水の周りが舞台なので、少々足元が危ないですが。音響さんへCDを渡して、「最初の3曲はメドレーになっています。メドレーの後は自己紹介とご挨拶します。その後オリジナル曲2曲を歌いますから。そう告げて、歌い始めました。ところがメドレーと自己紹介が終わると次の人が来て、降ろされてしまいました。 P4200608.yy88.1600.JPG その後、舞台下の広場で、「あんたは歌手にはなれねえよ、今日来ている歌手さんたちは、みんな立派で、俺にちゃんと前もって書いたものを渡して、打ち合わせをしている。あんたと違いちゃんとした人たちだ」。私は黙って聞いていました。涙をこらえて、相手をにら見つけました。又、私の知っている某テレビ局の歌番組でも音響をしているとも言っていました。そんな様子を、広場に集まった人たちがそれとなく注目。私はとても恥ずかしかったですが、悲しくもありました。 P4170521.yy88.1600.JPG 夜、家に帰り、友人に電話で聞いてみると、多分『ご挨拶』が必要だったのではと。微妙な答え。なるほど。そして20分が5分以内になってしまい、降ろされたという屈辱だけが心に残った私。しかしその日は強風が吹いていて、声を出すには喉に危険が来そうでした。若しかしたら、止めて丁度良かったのかも知れません。 P4200624.yy88.1600.aa.JPG 次回からは、一人でイベントします。戸外でもいいので、楽しいいひと時にしたいと思っています。それが出来る日まで、どうかこの体と、この心を守って下さいと、亡き母や祖母や父や夫に手を合わせます。Miyakoという歌手が受けた屈辱は、都という名の私の責任です。 P4200618.yy88.1600.JPG 櫻が終わった我が家の庭。去年以上に沢山の蕾が。平戸つつじです。父の弟さんの姓は平戸さんです。優しい季俊叔父さん。今ご存命ならもう100歳ぐらいかと。そのお子さんの京子ちゃんの事は、叔父さんから聞いたことがありました。それは「都ちゃんによく似ている」とのでした。現在55歳から60歳ぐらいになっておられるかと。逢えたら嬉しいです。

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夢知らせ [歌手Miyako]

何という事でしょう。あれほど悩んでいたのに、昨日一日で運命が変わった気がします。数カ月に亘りもがき苦しんできた事柄だって、今回の出会で、すべて消えてしまったように思えました。

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3月18日、春のお彼岸です。家の仏壇にはここ何日が沢山の好物(母や祖母、夫‥)が供えられました。その中には私の手料理も沢山あります。その理由は、勿論お彼岸だから…ですが、実は毎晩のように夢の中に母が出てくるのです。ほぼ一週間、殆ど毎晩でした。笑った母、怖い顔の母、何かを懸命に説明している母。私を覗き込んでいる怖い顔の母。懐かしいのですが、恐怖心も。

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これはきっと何かが起こる。そう思っていた私ですが、大事には至らないまま桜が咲き始めました。今年の桜は色も美しく、とても華やかに咲き始めました。家の近くの公園では、子供たちの笑顔が連日のように見かけられます。

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数日前の事です。良いお天気なので、少し遠くまで散歩に出掛けました。徒歩で片道30分程度なのですが、一部道路が狭く、車が沢山通るので休み休み辿り着いたのは、中院と言われるお寺です。正式には星野山 無量寿寺 中院 というそうです。此処は春には枝垂れ桜の名所として有名な場所です。私も今回初めてそのお庭に入りました。

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その美しさ、本当にため息が出るほど美しい姿です。暫くの時間、其処に留まり、溢れる花々にカメラを向けました。枝垂れ桜以外にもミモザアカシア、椿、レンギョウなどが春を演出していました。数十枚の写真を撮って嬉しさいっぱいでその場を後にした私は、あの喜多院まではここから直ぐだと気が付き、以前行ったことのある仙波東照宮に入り、そこから喜多院境内へと移動しました。

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川越に転居したての頃(47年前)、お正月にはだるま市が催される喜多院へしばしばお参りしました。しかし喜多院はその他にも大切な思い出の地でもあります。オリジナル曲『小江戸桜』誕生秘話があります。『小江戸桜』の中で歌われている枝垂れ桜は、主人公の淡い恋心を象徴する存在なのです。しかしこの歌を聴いた川越の方から、「枝垂れ桜は中院」と後になってお聞きし、ずっと気になっていたのです。
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2021.03.17の喜多院境内、枝垂れ桜が大きな枝を伸ばして見頃を迎えていました。ここ数年はおとづれていなかったので、お詫びを兼ねてお参りを済ませ、枝垂れ桜をカメラに収めました。その時ふと目の前の建物に人が出入りしているのを観た私、少しだけ寄ってみようと入館することに。

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履物を脱ぎ下足札をバッグにしまい建物の中を見学、すでに何組かのお客様が見えていました。三代将軍家光公誕生の間、春日局お化粧の間などを拝見いたしました。その時ふと目を転じた私、外の明るさの向こうに見えるお庭。「まさか…あれは枝垂れ桜では」と急いでお庭が良く見える場所への移動。そこには一口ではい表せない程の立派で優雅な枝垂れ桜がありました。もう言葉が出ない程の美しさ。そうだったのですね。私は建物の入り口に植わっていた枝垂れ桜しか、今まで知らなかったのです。

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最近少し卑屈になっていた私、その自分を変えたくて中院さん、そしてここ喜多院へ来た私でしたが、思いも掛けなかった枝垂れ桜の存在に、これからの希望に繋がる勇気を、頂いた気がしました。生きていなければここに来られなかった。毎日自分の死を考え卑屈になっていた私。夢の中の母が、その私を、此処まで連れて来てくれたのだと即座に思いました。
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夢のまにまに [歌手Miyako]

70代になって、年を重ねるという事は、かなり厳しい事だと知りました。今更知っても、しょうがないけれど。ここの所、亡き母の夢ばかり見ています。今は天国で暮らす母ですが、まだ心配して呉れているようです。

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さて、去年の8月に77歳、おめでたい喜寿を迎えたというのに、その後、哀しくも辛い事ばかり。其れも此れも歳のせいだと思っています。確かに目の調子もかなり悪く、文字を打ったり書いたりするのも、つい躊躇します。もう駄目なのかと食事も喉を通らなくなったり。しかし、同年代のご婦人方、まさに『我が世の春』を謳歌されています。

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私自身では何歳になっても自分で歩けて、食事の準備や洗濯掃除が出来れば、それを自分が楽しければ、それでいいと思っています。しかし、傍から見ると、きっと異様なのですね。自分では随分控えめに暮らし、服装やお洒落もほどほどを心がけています。

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そんな日々の中にも楽しみが少しはあるのです。それは4月から教室の講座内容の変更。時間の短縮。従ってレッスン料の変更。別講座の開設。生け花講座、もう一つ、飛びきりの講座。これは秘密。未だ秘密です。生け花講座は此れも一対一で。コロナワクチン如何ではグループレスンも可能ですが。

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私が夜に見る夢は、何時も怖い夢が多いけれど、教室の中で見る夢は、とても不思議。もう一人の私がいる様で楽しい時間です。昼下がりの教室、ベランダから見る外の景色は、遠くに秩父の山々のシルエットを望み、空にはプードルやドラゴンの雲がふわふわ浮いています。その時の私は、77歳のシニアではありません。何時だって、夢を見ていたあの頃、あの頃の私に戻れるのです。それでは今夜はここまでで、皆様おやすみなさい!



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小さな石の物語 [歌手Miyako]

昨日の事です。危うく大怪我になるところでした。今週は土日が2連休。その一日目に全く不思議なのですが、まさかの「すってんころりん」。家のなかでしたので、大怪我ではありませんが、一瞬、胸に相当の痛みを感じ、声が出ませんでした。過去には自動車にぶつけられ気絶、2年前は教室内で転倒、前歯を折り、気絶。過去の2件に比べれば、今回はまだ救われました。

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今回は気絶こそしませんでしたが、痛みは相当でした『救急車』をお願いしたい程。やや落ち着いてから室内にある筈の湿布薬を探し、やっと貼ることが出来ました。昨晩は寝返りも打てず、枕を少し高めにして眠りましたが、何回か胸が苦しくなり、とても怖かった!「お母さん、助けてね」と念じました。

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寝苦しかった夜もあけ、連休2日目の朝ごはんです。先日送って頂いた『天然の鰻』を炊き立てのご飯で頂きました。流石に美味しかったです。仏壇へ供えた半分は、夕方、鰻茶漬けにして食べました。その後、戸襖のレールを掃除し、転んだ理由を調べてみました。すると、不思議、不思議。失くしたはずの『あの石』が敷居の一番外れに落ちていました。もう半月も前、知らぬ間に指輪から落ちてしまったあの石です。

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拾ってみるとやっぱり間違いなく、あの石です。この石、名前は知りませんが、濃い緑と真珠のような光沢がある白い線。この真珠色の部分が、光線でキラリキラリ。ミステリアスな石です。実は8月の時、誕生祝いに自分で買いました。「シャリオール」というネーミングに惹かれました。女性用の華奢でエレガントな品ではなく、男性向きのがっしりした作りです。気に入っていたのに、いつの間にか石が無くなっていたのです。私は随分がっかりしてしまいました。

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あれからもう1カ月ほど経った今日、その指輪の石が、台所への出入り口、戸襖の敷居の隅に落ちていたのです。それとは知らず、私は昨晩、其の敷居でつまずき、転びました。「ああ、また転んでしまった!」と、わが人生を大いに反省したのでした。何故今頃出てきたの? 石に聞いてみたいと思います。宝石とは言えない程の石ですが、とても気に入っていました。その『石』が戻ってきました。もう諦めていたのですが。見つかって本当に良かった。

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ところで、私にはもう一つ指輪があります。それは、左手の小指に付けているピンキーリング。幸せを呼ぶ指輪だそうです。この指輪の石はペリドット。透明なオリーブ色をしています。こちらこそ8月生まれの誕生石です。ペリドットと言う石は古くから太陽の象徴とも言われてきたオリーブ色の綺麗な石です。しかし大豆より小さな石です。私の指輪たち、どの石も財産としても効果は皆無です。しかし女性にとって肌身離さない小さな石たちは、わが身の分身のようなもの。とても大切な品々です。


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四文字熟語に救われた日 [歌手Miyako]

気が付けば11月も九日。何をしていたのか、紐解けば何にもしなかった気がします。いわば放心状態のような私。しかしちゃんとご飯を炊いて、食べて。しっかり仕事をして、ぐっすり眠っていました。なのに何故か何も心に残っていない日々。体は至って健康ですが、先の見えない日々は生きている実感がありません。

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古いノートを引っ張り出して、何気なく目をとおしていたら、ある歌を思い出していました。もう11年ほど前になります。その頃、私はオリジナル曲を持って、方々のカラオケのお店を廻っていました。そして行きつけのお店で、小さなライブを催すことになった日、店内に貼られた一枚のポスターを見つけました。その歌の題名は、四文字熟語でした。そして2年前の私、その頃、ふとあの四文字熟語の歌を歌いたくなって、CDを買って覚え始めました。

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あれから2年、私の心は今、泣きたい!思いっきり泣きたいと叫んでいました。そして今日、独りの教室で、棚からそのCDを探し出し、何回も何回も聞きました。そして私も、うろ覚えでしたが、そっと歌ってみました。繰り返しているうちに、不思議にその歌の世界に誘われてゆき、教室からの帰路、いつの間にかその歌を、口ずさんでいたのです。

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そういえば私、この先の見えないコロナの時代で、愛や絆を失った自分への怒りと敗北感。そうした負の怒りの中で、人生の敗北感を抱いていたのかもしれません。あの歌の歌詞にあるように、「忘れずいたい」「希望の光」。そう、恐れおののく心は自分の弱さ。もう一度自分を信じてみようと。図らずも四文字熟語の懐かしいあの歌に救われた、今日の私でした。
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柿の実るころ [歌手Miyako]

秋、空も紅葉も綺麗だけれど、なんといっても、私は柿が好きです。毎日食べたい程です。実は父も柿が大好物だったとか。幼い私を連れて、ドテラ姿の父は神楽坂まで柿を買いに行ったそうです。音羽から神楽坂、今はバスも通っていますが、昭和21年.22年の頃は江戸川橋から地蔵通りを通って赤城下から神楽坂まで、徒歩だったと思います。

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その思い出を母から聞いて以来、私は秋が待ち遠く思うようになりました。父を思い出そうにも柿とフランスパンしかないのです。柿は神楽坂、パンは音羽の関口フランスパン。この2つが父の大好物だったそうです。そう言えば、小さい頃の私はご飯よりフランスパンが大好きでした。

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そしてもう一つ柿にまつわる思い出があります。7歳まで住んでいた音羽の家、裏玄関の前には大きな柿の木がありました。柿の木の向こう側には印刷工場があり、そのお宅には、私より2つか3つ年上のDちゃんという男の子がいました。泣き虫で、誰からも遊んで貰えなかった私、しかしDちゃんは妹の様に可愛がってくれました。

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ある日、その柿の木に登れず、一人泣きじゃくっていた私、そこを通りかかったDちゃん。一生懸命に登り方を教えてくれました。 それからの私は、柿の木だけは一人で登れるようになりました。といっても地上1.5m辺りまででしたが(笑)。銀杏並木が美しい音羽通。父とDちゃん、柿とフランスパンへのある町。2020年、秋のノスタルジー。
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