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愚もない話 [黄昏は麗しく]

暦の上では単なる三月、しかしこの月は期末の憂いもかなり多い月でもありそうな、春弥生。若しかして私のような性格を貧乏性っていうのでしょうか。ともかく私は春が本当は好きなのに、どうっしたことか、この美しい花の季節なのにあまりいい事は起きません。きっと周りの華やかに深い孤独を感じるのかも知れません。幼い時分の私もそうでした。どういう訳か秋が好きです。


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さて昨今の私です。今回の期末は、私にとっては然したる動きのない日々が続いています。暮らし向きは少しも良くはなりませんが、心は案外解放されて(多分開き直り)少しさばさばした気持ちで荷物の整理に追われています。特に書類の紛失を無くすように部屋かたずけけには注意を払っています。


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そんな春の一日、近所の桜が今年も優しい色して咲き始めました。私にとって桜はどれも好きな花ですが、とりわけ以前の住まいの前にあった八重桜と、現在の住まい近くに植わっている4本の桜が、特に好きです。いいえ好きというより、この樹の運命と私の運命がどこかで繋がっている気がするのです。


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八重桜の方は移転後、殆どあっていないので、そろそろ開花時期になったので、今日明日にでも会いに行こうかと。亡母との思い出がいっぱいの大きな八重桜、母がこの桜を大層気に入って、観た瞬「此処に決めるわ」と即決でその土地を買いました。都内から八重桜前の家に引っ越してきた時、母が60歳私が28歳頃。沢山の、八重桜への思いはいつも母への想い…。


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負けて勝て!と言われても… [シンガー]

家の前に空き地ができたと喜んでいたのも束の間、今度はビルが建つようです。私がこの街に来てから7年の歳月が流れました。その頃の私は夫を亡くしてから3年の歳月が過ぎていました。食べる事は何とか出来ていましたが、夫が残した借財の取り立ての凄さに力尽きていました。500万と少しだったと思うのですがて…。その時もとても怖い思いをして、愛猫の死を境に家を売却して私は現在のマンションに転入しました。


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8月の25日を今までの家で過ごし、私は川越駅近くのマンションに移った時、何故か初めての家とは思えない程、庭の形が今までの我が家と似ていました。あれから6年と7カ月がたったことになります。昔から『光陰矢の如し』と言われていますが、本当に気が付けば「もう7年?」という感じです。其の7年を迎える少し前の年、令和3年4月から私はまるで地獄のような日々を過ごすことに。桜の咲く頃の話です。


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その美しい桜の下で、何処からともなく集まる男女、すこし異質な感じもした私ですが、それでも春を謳歌していました。数日後に隣室へ転居してきたのは60代の女性。A子さんとは以前彼女の勤めていた場所でよく見かけていました。しかし転居してきたA子さんは、まさにまるっきり別人のようです。横柄な態度と下品な口の利き方。私はがっかりしました。前もって来ることは他から聴いていたので、少し楽しみにもしていたのですが。その変貌した姿にかなり驚きました。


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その後、このA子からの暴力を私は8回も受けることに。彼女の上司に言っても彼女は私を「遊んでやっている」と言ったそうです。その後いろいろ、自転車を脇腹にぶつけられたり、物干し竿を頭にぶつけられたり、マンションエントラスドアで、胸に分厚いガラスドアをぶつけられたりと。4月29日から6月24日までに8回から9回に及ぶ暴行が続きました。最後は右手首が使えなくなるほど痛み付け垂られました。


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その間もその後の私は、今まで通りに教室も公開講座も続けてきました。体中が痛みます。声が今まで通りには出ません。しかし一度も「死にたい!」とは思いませんでした。「逃げた方が良い」と多くの方々が心配して仰いました。然し私はもし死ぬのなら「ここがいい!」と思ったのです。この街は東京の早稲田~川越市霞が関へそして今の脇田町へと転居した私の、終の棲家です。庭には柏葉アジサイや、紫陽花。私の亡父を思い出させる平戸つつじ。真っ赤な実の付けるグミの実などのあるこの庭。どんな寂しい日も、辛い日々も、庭の草花が私の家族でした。


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そして2022年の春になりました。去年の12月から3月初めまでの体調、実は毎日苦しいほど体中が痛みました。右の腕は骨ばかりではなく血管迄も、彼女の長い爪でつまみ出されて、ひねられ続けました。彼女の手つきは慣れたもので、私の声が出ないのを好い事にして体に寒気と震えが出るまで、頭がボーとしてきても、彼女の右手の指や手のひらで痛め詰めました。その後、私は連れて行かれた部屋で意識がなくなりかけて、最後は自分の部屋に送られていました。



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この暴力を最後に彼女の暴行は亡くなりましたが、その後はその知人から今度は追いかけられたりと、全てがなくなったわけではありません。その頃の私は、弁護士さん、カウンセラーさん、お医者さんなどに色々伺いました。然しほとんどの意見は「逃げるが勝ち」、「負けて勝て!」。多くの激励を頂きましたが、此処にいて彼女の心中を聴かないと、私は立直れないと思っていました。


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そして今年も桜の咲く道で、彼女の代わりに私を追いかけ回して掴まったあの男性が、仕事帰り私を睨みつけています。今日も今日とてマンションの自室ドアの前で誰かが叫んでいます。私がまたAを虐めている~と。怖くなった私は夕やみに紛れて外へ逃げました。2時間程歩き回り、教室のあるビルの下まで戻りました。私は決して負けてはいけないのです。私の仕事は生徒さんへ楽しく歌い、そして歌姫になる夢を一緒に歩むのが仕事です。私は決して負けません、負けて勝つとはとても耳障りの良い言葉ですが、私は負けるのは嫌いです!



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神様、間に合いますか、79歳への祈り。 [シンガー]

今年の桜に、未だ出会えない私です。例年ならば、ご近所のクレアモールパークで、あの初々し花弁がほころぶ頃なのに。今年はつい一昨日にも地震があったり、桜の樹の向かい側では工事中だったりと、桜もすこし驚いているのかも知れませんね。でも私は、一日も早く桜たちに逢いたいのです。


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2日前に上記のような内容で書き始めた私ですが、今日、その桜がクレアモールパークで咲き始めました。朝方からの上天気に誘われて、街をぶらぶらと。最近の私は商店街は歩かずに、出来るだけ人に逢わない路地を歩きます。何故かと申せば、その方がこの街の本当の暮らしがみえるきがしたものですから。なにせ一人暮らしの私、本音をいえば、やっぱり暮らしの中の不便さもさることながら、本音は寂しいです。しかし一人暮らしの自由も捨てがたい環境ですけれど…。


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さて、去年から続いたあの暴力事件も幾分収まりましたが、私の中では、未だ何処かに「恐ろしい!」と感じています。9回にも及ぶ暴行はすべて彼女一人で行ったものですが、あの右頭頂への物干竿による暴力は今でも戦慄を覚えます。時折触ってみると、少し凹んでいる感じがします。最近の記憶力欠如は此処から来ているのでは等と感じる事も。またその暴力の最終回(八回目)に受けた右手首へ暴力も壮絶でした。


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そんな日々の中で、どうしても今、やって置きたい事が二つあります。それは私の子供同然のオリジナル曲『小江戸桜』&『何処へ行ったの日本の心』の件です。Miyakoのデビューからすでに12年。カラオケのジョイサウンドにも『小江戸桜』は入っていますが、私の努力が足らず、殆ど歌われていません。川越の街で生きるヒロインが初恋を捨て、何代も続いた蔵造のお店を継ごうと覚悟する、とても切なく美しい歌です。ちなみに作詞者は私です。私もこの春から精一杯、「小江戸桜」のミニミニライブを再開したいです。頑張ります! 


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そしてもう一つの願いは、自叙伝を残したい事。長崎生まれの父と東京生まれの母との間に生まれた私のかなりドラマティックな、内容の人生を小江戸桜の誕生の喜びを交えて描いてみたいと思っております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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懐中電灯 [シンガー]

まるで3.11思わせるような大きな揺れ。その時私は届いたばかりのパシコンを箱から出していました。あっ地震!驚いて箱を畳に置くと、私は庭に面したサッシを開けました。子供時分から祖母に言われた言葉、「逃げられなくなると困るから、一番に窓を開けなさい」。確かに逃げ口を確保しておかないといけませんものね。


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私の住む川越では珍しいのでしょうか、かなり揺れた気がします。テレビに映る被災地の様子、テレビに中の建物が大きく揺れています。以前見た津波の凄さを思い出していました。夜も更けていたのですが、私はある荷造りを始めました。万一の時にはどの位の品々を持って逃げればいいのだろうか…。大きなバッグが2個。まんがいちの場合、この重い荷物を持って逃げるのはなかなか難しい気がしました。これ以外にも飲用水も必要でした。


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翌朝、少し眠い目をこすていた私ですが、ふとあることを思い出したのです。それは…一品足らなかったのです。そう昨晩の避難用品に大切なもが欠けていました。その大切なもの、それはいつも持ち歩いている『懐中電灯』でした。この懐中電灯は暮らしの必須アイテムなのですが、それを忘れていたなんて、我ながら恥ずかしい! この懐中電灯、最近はとても便利です。その風袋はおおきなものもありますが、可愛い綺麗な風袋の物も円ショップなどでも売っていますので、いろいろコレクション。只長持ちしないので、非難時には電池も必須ですね。


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そんな懐中電灯ですが、普段も大活躍。例えば、帰宅してマンションの集合ポストの蓋を開ける時など。直暗証番号の入力には手元を照らす懐中電灯が必須です。また夜になって干したままの洗濯物を取り込むとき、少し大きな懐中電灯で、照らしながら取り込みの作業をします。板張りの縁側が少し揺れるので、懐中電灯は心強い味方です。皆様はどんな開通電灯お持ちでしょうか?

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早春の風に誘われて [黄昏は麗しく]

此処で、此処で私の運命が変わるかもしれない。そんな儚い希望をもって私はYさんと会いました。85歳というその顔は、以前より張りがあり、その目元の微笑みも穏やかな母のような微笑みです。しかし、この7年間、私はこの人に頭を押さえられていたことも事実でした。次々にその時々の想いが蘇る早春の午後。


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この店は大手スーパーの中にある喫茶コーナー。Yさんとの待ち合わせは午後2時。建物の入り口を入ってすぐなので、足元から吹き抜ける風が、私には些か気になります。しかし私.自らが起こしたアクションですので、我慢することに。先週の事でした。私は隣に住むYさんの嫁とその友人、彼女たちの暴力的,かつ執拗な嫌がらせに、とても憂鬱な日々を過ごしていました。然し行動を起こすのは時期尚早という考えがあったのですが、彼女の姑さんの、Yさんに逢ってみたくなりました。その人の口からあの真実を話して欲しいと願いながら。


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その待ち合わせ場所が、足元に風がぬける大手スーパーの喫茶コーナーでした。しかしそこは日本茶が自由に飲めるサービスもあり、買い物帰りの憩いの場所として、多くのお客さんで賑わっていました。私達はYさん持参のおにぎりや、コロッケなど軽い軽食を食べながら、ぼちぼちと本題へと話を進めました。その真剣でかなりセンシティブな話は、お互いに言葉を探しながら進んでゆきました。一時間が過ぎた頃、迎えの女性が来て分かった事は、暴力をした彼女は同時に私への悪口雑言をその人にも話し続けていたという事でした。そして目の前の私が彼女の言う悪い女にも見えたり、4~5年前にYさんお店で出会った私の面差しとが一致しないと、戸惑いの色を隠せない様子でした。


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帰路、川越駅構内の成城石井で買い物を。きょうも、長崎の特産物と130gの美味しい牛肉等々を買い、オリジナル袋に詰めてもらい、私は満ち足りた気持ちで川越駅東口にある我が家へ。夕暮れの街は急ぎ足で歩く人の波、波です。風が出てきた夕暮れの街にふと佇む私。「私、本当に此処を出た方が好いのかも知れない」等と迷いの多い小春の夕暮れ。多種多様の欲望が渦巻く街中は、今の私には不似合いの場所なのかも知れません。静な,緑の濃い、人が優しい場所、何処かにありますか…。





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