SSブログ

命の萌ゆる頃 [黄昏は麗しく]

毎朝、目を覚ますと直ぐ庭に出る私、此処に来て以来、朝のご挨拶はまず庭に植えられていた植物の面々に。紫陽花・グミ・柏葉紫陽花・マンリョウ・そして平戸つつじ。豪雨の日も、雪の中も、日照りの日も、只ひたすら穏やかに、静に時をまっている。

P1010552.yy88.1000.aa.JPG,


今夜のような金曜の夜には、OL時代から続く気持ちそのままに。嬉しくて楽しくて眠りたくない夜です。音楽を聴いたり、いつもは見ない深夜のTvを見たりと。そうそう最近は真夜中のコーヒーも必ず。大好きなチョコレートも忘れずに。そのすべては過ぎ去った日々の中の一コマ。私の青春も、ダンシング オールナイト。あの頃の疲れを知らない、青い日々。151cmの小さな体が広いフロアーを大きく巡ります。リードは当時大学生4年生のWさん。

P1010561.yy88.1000.JPG

1962年頃の話です。まだ19歳だった私が社交ダンスに魅せられてのには、こんな理由があります。私が学んだ女学校では、体育の時間に社交ダンスの授業にあったのです。それは、『淑女のたしなみに』為でした。中高一貫の女学校へは家から都電に乗って通学していました。

P1010430.yy88.1000.01.JPG

その後、晴れて19歳になった頃の私は、御茶の水にある専門学校へ通いながら、一方社交ダンスに夢中になっていました。母には内緒で、土曜日ごとに、渋谷まで通いました。渋谷駅の近くにあった、ハッピーバレーというダンスホールが私の目的地です。ダンスホールでは殆ど生演奏に乗って踊たように記憶しています。特に土曜日は一流バンドの演奏が多く、かなりの混雑でした。私達が特に好きだったタンゴは、今でも絶品だったと自負しています。パートナーWさんの、リードはまるで魔法。ほんのわずかなサインが、私の体を踊りの輪の中に。自画自賛ですが、まるで蝶のようにおどりました。夕方からラストまで、踊り続ける私とWさん。

P1010542.yy88.1000.JPG

人生で初めてダンスを教えて下さったWさん、無口で、飛び切りダンスの上手な方でした。ダンスホールで待ち合わせ、ダンスホールでさようなら。そんな暮らしが1年近く続き。Wさんは卒業して大阪へ。当時の私は、母からお見合いを急かされておりました。まだ人生を生き抜く事への不安など、全くない日々。23歳で結婚したお相手は

13歳年上の幼馴染。ここから私は、先の見えない長い人生を歩み始め始した。今思えばもっともっと丁寧に先々を考えて生きるべきでした。


P1010556.1000.JPG

現在、川越に住む私。小さな庭ですが四季折々を楽しめる小さな庭もあります。この庭の面々は、私の背丈ほどの木や草花ばかり。しかし気が付けば、私はこの庭の面々のお陰で、寂しさから救われ、生きる幸せを感じるようになりました。ここの家に来て7年の歳月が流れ、私はいつのまにか『辛抱』の意味を知り体。感することに。それは彼らのお陰なのです。彼らはどんな気象条件でも、どんなに私が手入れを忘れを忘れていても、自然と共に生き抜く力をもっていて、つねに凛として、その生き様を私に教えてくれたのです。

P1010561.1000.JPG

今は何があっても恐れない、そんな私になりつつあります。春の庭には穏やかさがあり、夏の庭には日照りの厳しさもあり、秋の庭には哀愁もあり、そして冬の庭には…来る春を待つ楽しさがありますね。それでは今夜はこれで。皆様、今夜もお付き合いを頂き、有難うございます。

 P1010485.yy88.1000.JPG     

 ※庭の平戸つつじが咲き始め増した。入居4年目から咲き始め、今年のはるはますます艶やかに。

nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 9

コメント 0

ステージ衣装万年筆よ走れ! ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。