SSブログ
シンガー ブログトップ
前の10件 | -

お手柄ミーちゃん [シンガー]

今年も夏がやってきました。夏の思い出は沢山ありますが、あの壮絶な夏の日のこと、思い出さずにはいられません。それは7年前の8月27日。行き先も知らず、私はごくわずかな荷物と、当時2歳半だった福美ちゃんを連れて、迎えのトラックに乗りました。着いた先は、初めての場所でした。二人の男性に荷物をお願いして、私は福美ちゃんを連れてすぐそばにあるマンションへ。その時、塀の上で私を見ている一匹の猫。可愛いお顔のミケちゃんです。私の部屋は庭付きでしたので、ほっとしました。二部屋にまたがる長い縁側もありました。


P1080142.1600aa.JPG

数日後から、初日に出会った三毛猫ミーちゃんが、縁側に遊びに来るようになりました。縁側に寝そべって昼寝をしたり、毛づくろいをしたり、寛いでいる様子。いづれ福美ちゃんも、散歩につれ出してあげようと。しかし福美ちゃんは3ヶ月も経たないで、天国へと。その寂しさを埋めてくれたのが、ミーちゃんでした。引っ越し初日に出会った三毛猫のミーちゃんは、地域猫として、近所の方々からも可愛がられている猫ちゃんでした。

P1080136.1200.bb.JPG


月日が経ち、私とにミーちゃんはお互いを認め、心が通うようになりました。7月のある日、ミーちゃんはしきり縁側の傍にあるクラーの室外機を気にしています。室外機の周囲にはどくだみの花がたくさん咲いていました。不審に思った私は、庭に出て、室外機の下をのぞきましたが、一面に茂るどくだみの花で、塞がっていました。仕方なく今は盛りのどくだみの花を抜いて、室外機の下を覗いてみました。すると、…大きな缶が、身動きできないような感じで、室外機の下に置いてありました。


P1080141.1600aa.JPG

私は恐々、その大きな缶を引き出し、缶に書かれた文字を読むと、〇〇油と書いてありました。「えっ油!」。私は恐怖を感じたので、急いで管理会社の方に来てもらいました。その結果は、大丈夫らしいということでした。その後、油の入った缶は北側の日の当たらない木の下に置かれました。それにしても、あんな大きな油の缶が室外機の下にあったなんて!ミーちゃんのお手柄でしたね。

nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

純白の嵐 [シンガー]

午前6時の庭は、新鮮な空気で満ち溢れている。今週は金曜日以降を休みにしていたので、本来なら朝寝坊を決め込む予定でした。

P1010021 (7).1600.JPG

しかし、花たちが心配の私は、目を覚めるや否や庭に出ました。ひとまず右から左まで庭を見まわし、「良かった、大丈夫だった」と独り言。


P1010327 (4).1600.JPG


ここに住んで7回目の6月、いよいよ今年の梅雨が始まりました。昨晩の雨は心配した程でもなく、柏葉紫陽花も紫陽花も大丈夫でした。それどころか紫陽花は色味が一段と冴えて、雨に濡れた花が生き生きと美しい姿を見せてくれました。


P1030839.JPG

また一本の樹に50個以上の花房をつけた柏葉紫陽花も、吹く風に身を任せ、ゆらゆらと純白の花房を揺らしています。なんという美しさ、重いほどの花房は、小さな小さな花たちの集まりで,房の先端に見える小さな緑の蕾は、これから咲く、順番を待っ白い花です。


P1010120 (6).1600.2.jpg


ざわざわと一陣の風が柏葉紫陽花の房を揺らすとき、私はいつの間にか純白の風に包まれている自分を感じていました。



nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

孤独の代償 [シンガー]

私はどちらかと言うと、一人でいることが好きです。高齢化するほどに、気を遣わずに気儘に過ごすことが好きになりました。かと言っても、全く会話のない日々は辛いです。ここ三日ほど口を利いたのは、ヤマト便さんと佐川急便さんだけでした。


P1010156 (3).aa.JPG


食料品が届きました。大好物の大山ハムの詰め合わせ。別の荷物は、黄色いホーロー鍋。5月になってからは、食欲もそこそこ出てきたので早速料理を始めました。と言ってもハム野菜サラダに大好きな辛子明太子。これでは料理とは言えませんね(笑)


P1010068 (2).1600.JPG


昼下がり、いつものようにカメラを持って庭に出る私。口を利かない植物ばかりですが、晴れた日も、雨の日も、強い風の吹く頃だって、彼らはいつも其処にいてくれます。どんな環境だって、文句ひとつ言うこともなく、そこにいてくれる庭の面々。しかしそれぞれが思い切り主張できる季節が来れば、彼らの一番素敵な姿を現します。それに引き換え私という人間の我慢の悪さ。

P1010104 (3).1600aa.JPG



人間に生まれてきて良かった!そう思って生きてきた七十余年、本当に長い長い旅でした。その甲斐もなく今は、毎日が孤独な暮らしになりました。その寂しさに、狂いそうになる時だってありますし、いっそひと思いに…。今回はそんな事さえも考えてしまいました。夫を亡くして10年、母を亡くして18年。


P1010115 (3).1600yyy.JPG


そして令和3年4月より人間を、人と思わずに、まるでマネキン人形のように、私の体中に暴力をふるう女性が出現。腕を捻じったり、頭を棒で殴ったり、胸や背中を思いきり殴ったりと。また、自転車に乗ったまま、私の脇腹へ自転車に乗ったまま直進。えぐるような感じで自転車のハンドルを握って脇腹に差し込みます。去年から続く女性からの暴行。その暴力には常に命の危険を感じます。そんな日々が一年去り、この4月から2年目に入りました。昨年は約10回、今年は2か月足らずの間にすでに4回。いづれも自宅から職場の間にです。女性が2名、男性1名に公園近くの道で襲われました。桜の時期でした。


P1010071 (2)1600aa.JPG


夫に先立れた頃も壮絶な日々でしたが、まだ60代でしたので、仕事にもプライべートでも、希望を叶える事も、出来ました。しかし今は絶望的です。その努力をする!そうした気持ちは持ち続けていたものの、10年経ってみれば、私はもう後期高齢者。隣室の彼女からの暴力には、これ以上耐えられません。生きる力さえ失せてしまいそうです。彼女には暴力をやめる気持ちはさらさらないようです。そもそも私に暴力をする意味さえ、私からすれば判明していないのです。前触れもなく、本人の気分で、いつも不意に襲われています。


P1010095 (3).1600aa.JPG

いろいろ考えてみたのですが、やっぱり一人暮らしがいけなかったのかもしれません。専門家に聴いてみると、暴力の標的になりやすいようです。自宅から教室までのほんのわずか、3~4分ぐらいの間に自転車をぶつけられたり、背中や、胸に体ごとぶつかってきたりします。


P1010087 (2).1600.abc.JPG



そんな日々の中、幼いころからの友人より電話があり、池袋で会うことに。私の母の命日を覚えていてくれたのです。川越から池袋は東上線で30分ほどですが、昨日は地下鉄の小竹向原で乗り換えました。お寺のある要町までは、この方法が便利です。

P1010089 (3).1900.ababab.JPG


地下鉄を出て要町交差点を池袋駅めがけて歩くこと5分ほどで、目的のお寺に。大通りから少し曲がった場所にあるお寺には父母、祖父母。祖母や母の仲良しだったH様のお墓もあります。私も此のお墓に入れるように…、父母に頼んでお墓を後にしました。その後東武デパートに入りコーヒーとサンドイッチを。久しぶりの外食です。沢山の人、人の波。

P1010091 (3).1600.aaa.JPG


帰路は知人から頂いた沢山の品々を、これも彼女から贈って頂いた紺色のリックに入れて、池袋発の東上線に乗り込みました。なんと各駅停車に乗った私、久しぶりに成増。和光市。朝霞台…。本当に懐かしいです。電車の窓から見る町は少しも変わらないのに、私の身の上は本当にすっかり変ってしまいました。

 

P1010087 (2).1600.abc.JPG

池袋を出た電車の中はゆったりと座れ、私はつい眠りに誘われそうに。しかし居眠りする暇もないほどの距離に川越はあります。車内にアナウスが響きます。しかしこのまま、降りたくないと思う私でした。それでも駅を降りた私は、急ぎ足で家に戻り、急いで庭に。雨上がりの庭では柏葉紫陽花も、少し色づいたグミの実も私を笑顔で迎えてくれました。







nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

分かれ道 [シンガー]

庭のツツジが終わった日からたくさんの郵便が届くようになりました。どれもが大切な書類なので丁寧に読んで、返事が必要な分からポストへ。そして今日。待ちに待った県民住宅の抽選結果の発表。ドキドキしながら、PCで番号を探しました。

P1011302.yy88.1600.JPG


何回も何回も探しましたが、私の番号はありませんでした。思わず、目頭を押さえます。次回は何時なのでしょうか。今年は1月・4月…となっていますので多分7月ごろかと思います。それまでここに置いて、下さるさるのでしょうか。


P1011318.1600.JPG

転居を予定し家中の荷物を点検してみました。捨ててしまうにはもったいない気がしましたので、今に小さなミシンを買って、何か作ってみようかしら、とも。今回、抽選にはづれた場所は、今住んでいるマンションから30分ほど歩けば着くところでした。最近は高齢者の応募も多く、当選するまでに何回も落選を経験しないと無理のようです。


P1011303.yy88.1600.aa.JPG

それにしても、引っ越しをするのは今度で5回目、音羽から早稲田、早稲田から川越霞が関、そして川越霞が関から現在の住まい、さらに現在から、これから探す住まい。まさかの展開です。自宅以外に住んだのは今回が初めてでした。これからもずっとわが家がない暮らし、考えてみれば恐ろしいことです。もちろん私の力がなかったせいです。

P1011317.yy88.1600.JPG


昨日は母の日。懐かしい母との思い出が次々に浮かびます。当時、母の日のプレゼントは毎回、日傘でした。藍染、私が好きなのですが、着物姿にも洋服でも似合うようにと。母はとても喜んで大切にしまっておきます(笑)

P1011310.yy88.1600.JPG

さて人生の後半も過ぎ、高齢者となった私ですが、元来の楽観的な性格でどうにかなるとも思っていました。ところがまったく考えてもいなかった隣室女性Aさんからの度重なる暴力はもう20回を超えました。最近は公園に暮らす手下まで使って。

P1011153,1600.JPG

このような現況に、行政も、警察もそれでも手を出せないのでしょうか。彼女の会社の社員たちも、事情が分からないまま、私を揶揄します。法治国家の筈なのに、どうしてこんな暴力が許されるのでしょうか。

P1011229.1600.JPG


久しぶりに遠くに住む知人からの電話。「カラオケ喫茶のママやってみない?」と。有難いお話なのですが、あまり気が進みません。お酒の席は苦手です。しかしわずかな年金だけで、ここを出ては暮らせません。

P1010611.1600.JPG

八方ふさがりの私ですが、いつかどこかに、何処かに灯が必ず見えるはずです。昔からすぐ迷路に入る私の思考、しかし必ず抜け出すことが出来ていました。今回も今は真っ暗な迷路ですが、きっと抜け出せると信じましょう~。昭和18年8月生まれ。令和4年8月で79歳になります。本当は自分でもびっくり!!

P1011099.1600.JPG


彼女の暴力がなければ、2022年度も活動的な日々がおくれたのに…、そう思っていましたが、其れが転機になって、もっともっと素敵な生き方に巡りあえるかもしれませんね。8月まであと3か月。まだまだ希望は捨てません。



 

nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ステージ衣装 [シンガー]

私が母の舞台をはじめてみたのは、たぶん小学生の低学年の頃だったと思います。当時母は未亡人になって数年の頃、ラジオからは今は懐かしい、流行歌が流れていたころです。みやこ(私)8歳、母36歳頃の話です。その頃の私たちは、空襲で家を焼かれ、知人の家の2階に住んでいました。当時の父の年齢は39歳、母33歳の頃。祖母と母と父と私。祖父の覚三郎は茨城県の人で終戦の翌年に亡くなっていました。


P1010063.yy88.1000.JPG


私の父は長崎の出身、海軍工廠を出てから東京の明治大学、卒業後は、戦前の鎌田にあった、日本自動車・飛行学校へ就職。その会社が出版していた『スピード』という本の編集をしていました。戦争がはじまり紙がなくなった昭和18年には、私が生まれ、昭和20年の終戦を迎えたと母から聞いています。しかし戦争の思い出も父の思い出もほとんど無く、祖母の優しさに包まれた幼かった日々が記憶の中にあるだけです。


P1010061.yy88.1000.JPG


昭和22年、結核を患っていた父が他界、母愛子、祖母みよ、娘のみやこは4歳になっていました。戦後という時代の中でしたが、母の強い生命力と、祖母の深い愛情で、何の不自由もなく、我儘いっぱいに、小柄な少女は育ってゆきました。みやこが小学生になったころ、住まいが早稲田に移り、母は日本橋の料亭に勤めておりました。気丈で、今でいう『小股の切れ上がったいい女』、母の愛子はのちにその料亭の女中がしらとなり、日本橋界隈を闊歩する毎日でした。

P1010075.1000.JPG


その母は職業柄もあって、色々と芸事を習っていました。例えば日本舞踊。おけいこの日には私も一緒に。「チントンシャン」とお師匠さんの口三味線にうながされ、母と踊る『博多夜船』・ひとりで踊った『梅にも春』。遠い日々は、あまりにも楽しく麗しく、昭和という時代の苦さなど、幼い私にはまるで無かったようでした。


P1010043.1000.JPG


美人で・頭がよくて、商売が上手な母は今でも私のあこがれ。芸事にも優れた母は踊りのほかにもお座敷歌や、詩吟なども。日本橋の料亭で行われた詩吟の会には、私も見物に連れて行ってもらいました。マイクなど使わず、母の声は朗々と響きます。その姿が今でも思い出されますが、磨かれた母の声はもう二度と聞くことはできません。母に衣装はいつも豪華な着物。いわゆる江戸前の粋な着物ばかりですが、後に母が言うには「着物を買わなけれは家が、あと三軒ぐらい建っていたわね」。この言葉につきます。家には紺屋さん(こうやさん)と母が呼ぶ染物やさんが始終来てくださり、次々と箪笥が満員に。


P1010047y88..1000.JPG


子供の頃の母の芸事への印象は、幼い私の中にしっかりと残され、図らずしも、歌手になれた時、私はステージ衣装には、かなり拘り次々と買い求めることに。しかしここ数年はステージとは殆ど無縁の暮らし、数枚残ったドレスはクローゼットにしまい込んだままです。もう着ることは無い!そうは思っても今でも捨てることは出来ません。それどころか新調したまま、直用しなかったグリーンのドレス、裏地がついた絹のドレスです。人生の大先輩から最近いただきました。今年こそ、このドレスで、心身ともに再起動したい私です。


P1010307.1000.JPG

今年も平戸ツツジが美しい花を咲かせています。


nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

涙が咲かせた花ならば [シンガー]

ここの処、昼夜構わず眠り続けています。危ない!確かに危険です。一度検査を受けなくてはいけないのかも知れませんね。しかしこうなっても不思議でない程、沢山の傷が頭に脇腹に、背中に足に。2022年は3月半ばから4月半ばまでで5回、去年の2021年が4月~6月までと12月迄に9回。合計14回のきつい暴力です。身体の彼方此方が、この一年は痛み続けました。然し慣れとは不思議なもので、何とか生き抜いてきました。


P1011110.yy88.1000.aa.JPG


夕方の事です。朝から全く鳴らなかった携帯が大きな音を立ててなっていました。「はい、みやこです」と私。すこしはにかんだようなTさん。95歳になられる紳士のTさんとは、以前お家がご近所でした。子供時分は児童合唱団のメンバーだったそうで、歌のとても上手な方です。久しぶりにお電話いただきました。「実は病院で転んで頭を打ってしまって…」と恥ずかしそうにでも笑いながら話されるTさんです。


P1010274.yy88.1000.JPG


「その後どうされましたか」、やや心配そうな電話の声。何とも不思議なご縁なのです。Tさんは、私の歌友だちの友人。そのTさんが9年前に私に紹介して下さった子さんは、しばしば私のブログに出てくる暴力女史の子、その女子のお姑さんになります。本当に不思議なご縁で繋がっています。若いころ川越の会社に勤めていたTさんは、仕事帰りに部下を連れて、Yママの店によく通ったそうです。現在85歳になるママの方も「あら、あの歌のうまい方ね」と覚えていて下さったようです。


P1010213 (1).yy88.1000.JPG


さて、A子がボスの暴力はグループAは、女性が3名・男性2名で編成されています。最近はその中の一人が私に暴行を仕掛ける事も。そんな時は公園のベンチでA子は休憩。お酒を飲んでグループと私を指さして大声で笑っています。私は、交代で狙われるので、以前より頻繁に痛め付けられます。兎に角、不意を突かれるので、逃げる事も110番することもすべて後の祭り。彼らからの暴力は止まることなく続いてゆきます。


P1010214 (1).yy88.JPG


実は、その様子を個別にですが、私がお二人に伝えていたのです。お双方とも随分心配して下さいました。特にYママには、息子のお嫁さんいあたるA子には是非とも注意をして頂きたかったのですが。スタートが2021.04.29日の暴力は、1年経った今になっても、その暴力は、一向に止まりません。歌の上手なTさんにも心配して頂いています。特にYママはK子の姑さんなので、かなり気を使っておられるようです。しかしそれとは別に、若かりし頃の思い出も懐かしそうに語っています。


P1010211 (1).1000.2.JPG


そんな二人の想いを銘々から聴くうちに、人間とはやっぱり愛しい人や懐かしい人の事を語るとき、生き生きと命が燃える、その事を、その様をそれぞれのお声からも感じました。今、私にも語りたい人がいます。いくら話し続けても語り尽きない私の想い。しかしそれを語れる日、私に来るでしょうか。


P5242976.yy88.1000.JPG


ここの処、辛い日々が続いていたので、何時も私の目には、涙が溜まって落ちて。そして今日の事、私は電話でTさんの話しを聴きながら、何故か涙がほろり。落ちた涙のその下で、小さな花が咲きました。黄色い小さな涙の花は、グミの花に似ているような、いつか成りますね。グミのような、赤くて甘い実が、私の明日にも。

,

P1010067.1000.JPG


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

デコポン&カメラ [シンガー]

皆様こんばんわ桜に心を奪われていたら、いつの間にか4月も半ばになってしまいましたね。ここの処、私の体調はとても悪いです。気が付けばいつの間にか、布団で眠っているのです。私が覚えているのは確かにブログに使う写真の整理。昨日の午前中に撮った写真から数枚を選んでいた筈でした。


P1011338.1000.JPG


あまり眠っていない夜が明けたのが、午前5時ごろ。何時もならまだ眠っているのですが、昨日は沢山のゴミを出す必要があり、5時半には身支度を済ませていました。実は一日でも早い引っ越しを考えて、不要物を整理中です。かなり捨てています。転居を急ぐ理由は、去年の暴力の続きがまた始まり、体がもう持たないと感じたからです。


P1010009 (1).1000.JPG


その事が分かった私は一日も早く転居したいと考えました。しかしその費用の高さに苦しんでいます。不動産業者さんにその理由を聞いてみたところ、単身者の高齢者には平常の費用の他に保険代(入居後の入院や未払いなどのリスクに備える保険代金)に充てるので、総額で50万程度は掛かるそうです。暴力から逃げるには転居以外ありませんので、今回も県民住宅へも応募します。しかし4月ということで倍率も高く、見込みは薄いかもしれません。

そんな日々なのでかなりの疲労感があり、睡眠の不安定や胃や腸も不調です。


P1010024.1000.JPG


私が「単身高齢者なのに」と、いくら愚痴を言っても融通が利くことはありません。独り身の女性の生き方は、所詮せんない物ですね。老人ホームへの転居という考えもありますが、いまは未だ一人暮らしで、生きて往きたいと。夕方、気晴らしを兼ねてデパ地下へ。仏壇へ供える果物をあれこれ探していました。盛りのイチゴをあれこれと。棚の上、籠の中に何かが見えました。顔を上げて籠の中をみると、そこには大きなデコポンが。母の大好物なデコポンです。


P1010063.1000.aa.JPG


そういえば。今年の春は何故か急ぎ足ですね。満開の桜をあまり見ていないまま、葉桜になってしまいました。今日の写真は新しく買った中古カメラでの作品です。私は案外好きですが、皆様は如何ですか。長文をお読みいただきありがとうございます。


nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この命、誰の物 [シンガー]

今日はお釈迦様。幼い頃には祖母に連れられて花まつりの山車を引きました。あれから70余年の歳月が過ぎ、今私は命の危険に曝されながら、それでも果敢に立ち向かって生きています。隣室に住むA子からの暴行は今でもやまる事はありません。去年の4月から始まった、私をターゲットにした暴力の数々。9回にわたる暴力行為は其の度に警察へSOS。しかしそれも成果がなく、未だに彼女は暴力行為を続けています。

P1011275.yy88.1200.JPG


今年人あってからの、その方法は、一人では実行しません。周りに彼女の同僚、もしくは知人などが加わって、2人組で行う場合もあったり、中心人物のA子以外の仲間からの暴力も受けるようになりました。今回は110への通報はしていませんが、高齢者への虐め等の相談室へは時々相談に行きます。彼女の暴行の仕方は、今迄なら人に見られないような方法を取っていましたが、今回は人の前で堂々と彼女流の暴力を。その1、多分3月の末、2021年度の締め切りに彼女の会社も私も追われていた頃です。


P1011296.yy88.1600.aa.JPG

その日、確か昼頃だったと思いますが、散歩に出かけた私、マンションからでて右方向(東方面)へ歩き始めました。家数でいうと3軒目に差し掛かった時です。突然彼女と、同室の女性の自転車が、わたしの左側、それも体すれすれに、ぶつけてきました。吃驚してすぐ前の八幡通りを右折しようとした私を、2台の自転車は曲がらせないように私の体を遮り、八幡どうり左側を駅方面に走り去りました。その時、運のいい事に左側には長い自転車の列が。殆ど女性だけの自転車の列です。その中に2人の自転車はすうーっと入って行きました。あの道には防犯カメラもある筈です。


P1011274.yy88.1200..JPG

私はあっけに取られ、ただ茫然と。左の方から脇腹にぶつけるやり方は、一年まえと同じような暴力、その時も自転車でした。その暴力と同じタイミングです。何故?何故?A子は暴力を止めないのでしょうか。カンセラーの先生に伺ったところ、多分憎しみというより、虐めたいとか、追い出したいとかの感情なのではと。私からみると、その行為はとても70歳に近い女性のする事ではないように見えますが、本当のところは本人以外は分からないですね。

P1011289.yy88.1200..JPG向かおう


今日も今日とて、公園で桜を撮って駅へ向かおうと公園の桜の樹の下を歩いていたところ、突然背中に痛みが。犯人は公園の主のようにずっと前から住み着いてこいる背の高い女性、その女性でした。そしてそれらを指図してるA子は公園内のベンチに腰掛けながら、数人の男女でその様子をじっと眺めています。


P1011276.yy88.1200.JPG

生きている私が罪なのか、暴力を続ける彼女たちが罪びとなのか、私にはもう分かりません。周囲の反応は、命を大切にするなら「逃げろ」。しかしこのまま無視していれば、そのうち飽きる等という考えもあるようです。どちらにしてもこれ以上この暴力を繰り返されれば、本当にもう今世とはお別れしなくてはなりません。ね。この1年で彼女からの暴行で受けたきづの痛みは今でも続いています


P1011279.yy88.1600.aa.JPG


かつての川越城では江戸城より多い忍者がおり、その住まいが今私のいる場所から北へすこし行ったところにあったそうです。そして図らずも2015年の頃の転居後、私の住まいは、忍者の方々が住んで居た場所に近い場所になります。川越に転居してから50年目です。私は今、その忍者の亡霊に日々、出会っているのでしょうか。当時の忍者の数は江戸城のそれより多かった。そんな内容の文章が以前購入した「川越城下重ね地図」で見た気がします。私の住まいはまさにその近くにあるのですが。しかし忍者は城を守るためにいた方々ですよね。然し彼女の暴力はまったく動機は違う筈です。今夜も薄い眠りになりそうです。


nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

負けて勝て!と言われても… [シンガー]

家の前に空き地ができたと喜んでいたのも束の間、今度はビルが建つようです。私がこの街に来てから7年の歳月が流れました。その頃の私は夫を亡くしてから3年の歳月が過ぎていました。食べる事は何とか出来ていましたが、夫が残した借財の取り立ての凄さに力尽きていました。500万と少しだったと思うのですがて…。その時もとても怖い思いをして、愛猫の死を境に家を売却して私は現在のマンションに転入しました。


P1010356.yy88.1600.JPG


8月の25日を今までの家で過ごし、私は川越駅近くのマンションに移った時、何故か初めての家とは思えない程、庭の形が今までの我が家と似ていました。あれから6年と7カ月がたったことになります。昔から『光陰矢の如し』と言われていますが、本当に気が付けば「もう7年?」という感じです。其の7年を迎える少し前の年、令和3年4月から私はまるで地獄のような日々を過ごすことに。桜の咲く頃の話です。


P1010407 (4).yy88.1600.JPG


その美しい桜の下で、何処からともなく集まる男女、すこし異質な感じもした私ですが、それでも春を謳歌していました。数日後に隣室へ転居してきたのは60代の女性。A子さんとは以前彼女の勤めていた場所でよく見かけていました。しかし転居してきたA子さんは、まさにまるっきり別人のようです。横柄な態度と下品な口の利き方。私はがっかりしました。前もって来ることは他から聴いていたので、少し楽しみにもしていたのですが。その変貌した姿にかなり驚きました。


P1010360.yy88.1600.JPG


その後、このA子からの暴力を私は8回も受けることに。彼女の上司に言っても彼女は私を「遊んでやっている」と言ったそうです。その後いろいろ、自転車を脇腹にぶつけられたり、物干し竿を頭にぶつけられたり、マンションエントラスドアで、胸に分厚いガラスドアをぶつけられたりと。4月29日から6月24日までに8回から9回に及ぶ暴行が続きました。最後は右手首が使えなくなるほど痛み付け垂られました。


P1010367.yy88.1600.JPG


その間もその後の私は、今まで通りに教室も公開講座も続けてきました。体中が痛みます。声が今まで通りには出ません。しかし一度も「死にたい!」とは思いませんでした。「逃げた方が良い」と多くの方々が心配して仰いました。然し私はもし死ぬのなら「ここがいい!」と思ったのです。この街は東京の早稲田~川越市霞が関へそして今の脇田町へと転居した私の、終の棲家です。庭には柏葉アジサイや、紫陽花。私の亡父を思い出させる平戸つつじ。真っ赤な実の付けるグミの実などのあるこの庭。どんな寂しい日も、辛い日々も、庭の草花が私の家族でした。


P1010358.yy88.1600..02.JPG


そして2022年の春になりました。去年の12月から3月初めまでの体調、実は毎日苦しいほど体中が痛みました。右の腕は骨ばかりではなく血管迄も、彼女の長い爪でつまみ出されて、ひねられ続けました。彼女の手つきは慣れたもので、私の声が出ないのを好い事にして体に寒気と震えが出るまで、頭がボーとしてきても、彼女の右手の指や手のひらで痛め詰めました。その後、私は連れて行かれた部屋で意識がなくなりかけて、最後は自分の部屋に送られていました。



P1010387.yy88.1600.aa.JPG


この暴力を最後に彼女の暴行は亡くなりましたが、その後はその知人から今度は追いかけられたりと、全てがなくなったわけではありません。その頃の私は、弁護士さん、カウンセラーさん、お医者さんなどに色々伺いました。然しほとんどの意見は「逃げるが勝ち」、「負けて勝て!」。多くの激励を頂きましたが、此処にいて彼女の心中を聴かないと、私は立直れないと思っていました。


P1010360.yy88.1600.JPG


そして今年も桜の咲く道で、彼女の代わりに私を追いかけ回して掴まったあの男性が、仕事帰り私を睨みつけています。今日も今日とてマンションの自室ドアの前で誰かが叫んでいます。私がまたAを虐めている~と。怖くなった私は夕やみに紛れて外へ逃げました。2時間程歩き回り、教室のあるビルの下まで戻りました。私は決して負けてはいけないのです。私の仕事は生徒さんへ楽しく歌い、そして歌姫になる夢を一緒に歩むのが仕事です。私は決して負けません、負けて勝つとはとても耳障りの良い言葉ですが、私は負けるのは嫌いです!



nice!(9)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

神様、間に合いますか、79歳への祈り。 [シンガー]

今年の桜に、未だ出会えない私です。例年ならば、ご近所のクレアモールパークで、あの初々し花弁がほころぶ頃なのに。今年はつい一昨日にも地震があったり、桜の樹の向かい側では工事中だったりと、桜もすこし驚いているのかも知れませんね。でも私は、一日も早く桜たちに逢いたいのです。


P1010344.yy88.1600.JPG


2日前に上記のような内容で書き始めた私ですが、今日、その桜がクレアモールパークで咲き始めました。朝方からの上天気に誘われて、街をぶらぶらと。最近の私は商店街は歩かずに、出来るだけ人に逢わない路地を歩きます。何故かと申せば、その方がこの街の本当の暮らしがみえるきがしたものですから。なにせ一人暮らしの私、本音をいえば、やっぱり暮らしの中の不便さもさることながら、本音は寂しいです。しかし一人暮らしの自由も捨てがたい環境ですけれど…。


P1010333.yy88.16000.JPG


さて、去年から続いたあの暴力事件も幾分収まりましたが、私の中では、未だ何処かに「恐ろしい!」と感じています。9回にも及ぶ暴行はすべて彼女一人で行ったものですが、あの右頭頂への物干竿による暴力は今でも戦慄を覚えます。時折触ってみると、少し凹んでいる感じがします。最近の記憶力欠如は此処から来ているのでは等と感じる事も。またその暴力の最終回(八回目)に受けた右手首へ暴力も壮絶でした。


P1010327.Y88.1600.JPG


そんな日々の中で、どうしても今、やって置きたい事が二つあります。それは私の子供同然のオリジナル曲『小江戸桜』&『何処へ行ったの日本の心』の件です。Miyakoのデビューからすでに12年。カラオケのジョイサウンドにも『小江戸桜』は入っていますが、私の努力が足らず、殆ど歌われていません。川越の街で生きるヒロインが初恋を捨て、何代も続いた蔵造のお店を継ごうと覚悟する、とても切なく美しい歌です。ちなみに作詞者は私です。私もこの春から精一杯、「小江戸桜」のミニミニライブを再開したいです。頑張ります! 


P1010348yy88.1600.aa.JPG


そしてもう一つの願いは、自叙伝を残したい事。長崎生まれの父と東京生まれの母との間に生まれた私のかなりドラマティックな、内容の人生を小江戸桜の誕生の喜びを交えて描いてみたいと思っております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。


P1010353.yy88.1600.aa.JPG





nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | - シンガー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。