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小江戸から大江戸へ [シンガー]

久しぶりに都内迄。E子さんからのお誘いを受け、有楽町線、護国寺で待ち合わせ。10:07川越駅を出て、目的の護国寺までは約50分。彼女とは6月以来。で、目的はというと、私が「黄色く色づく銀杏が、はらはらと風に舞う姿を観たい!」と、しきりに訴えていたからです。


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そして約束の24日がやってきました。護国寺境内は人影も少なく、紅葉した桜の樹を始めとして、晩秋の色を濃くして私を迎えてくれました。境内を右に回ると、懐かし音羽幼稚園があります。昭和22年、私はこの幼稚園に父の希望で入園、父の夢は現在のお茶の水女子大学に入って父の同僚の奥様のような優秀な編集者になって欲しかったのです。私は小さな時から父の遺言を、母から聴きながら育ちました。


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E子さんと私が次に向かったのは、音羽を転居後、私たち家族が暮らした早稲田鶴巻町。此処で小学1年生から暮らしました。そして転校が嫌な私は、わがまま言って、音羽時代に通っていた青柳小学校まで、都電を利用して3年生の一学期迄通い続けました。


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遠い日の思い出は、掴みたくても掴めない蜃気楼のよう。鶴巻町で昼食を摂ったE子さんと私、今度は早大正門通を大隈講堂へと向かいました。大隈講堂の辺りは少し変化もありましたが、やぱり懐かしさにうるうると。その後、大隈会館の脇道を通って。昔の都電の終点へ。此処を「小さな旅」の終点にして私は高田馬場から西武線で本川越へ無事帰宅致しました。


 






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それは束の間 [シンガー]

ここの処、小春日和が続いたせいか、体調も良くなり、庭に出て花の写真を撮っていた私です。其処へ今度も縁側に。例の太い竿につるされた洗濯物を吊るす大きな道具、それを竿から外していました。そこで私が穏やかにこう聞きました。「何で何回も私に……」と言いだした途端、物凄い形相になり、そのまま縁側から飛び降りて、私を襲って来そうな様子でした。彼女、洗濯物が体に巻き付いたのか、急いで部屋に引き返しましたが。


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この分では、まだまだ私への暴力を続けるつもりなのだと、確信した私です。背丈もあり、腕力も強い彼女からの暴力は、間違いなく生命への危険があります。前回、痛めつけられた脇腹、頭頂の右側、胸板、手首には今でも激しい痛みがあります。痛みの為に私の表情も歪み、10歳も20歳も年を重ねたような顔が手鏡に映ります。その度に私は『絶望』という文字を心の中で綴ります。


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そんな日々が続いたある日、コンビニへ買いに出かけた私、向こうからくる男性と目があいました。あの方です。しかしそれはいつものあの方ではありませんでした。初めてお目にかかった10年ほど前のあの方です。溌溂とまるで年齢を感じさせない歩き方。「まさか、嘘!」と私。「今日は教室?」「はい、今日はSさんです」。「あ、そうか」。すれ違いのほんの数秒、私たちは何の屈託もなく、微笑みさえ見せながら、その束の間の時間を共有したのでした。

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その日までは、街に木枯らしが吹く頃までに転居を決めようと考えていた私ですが、その時、それが杞憂に終わる事さえも、私の心は思い描いていたのでした。然しすべては神様の御心のまま!まだまだ大団円ではありません。


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