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ステージ衣装 [シンガー]

私が母の舞台をはじめてみたのは、たぶん小学生の低学年の頃だったと思います。当時母は未亡人になって数年の頃、ラジオからは今は懐かしい、流行歌が流れていたころです。みやこ(私)8歳、母36歳頃の話です。その頃の私たちは、空襲で家を焼かれ、知人の家の2階に住んでいました。当時の父の年齢は39歳、母33歳の頃。祖母と母と父と私。祖父の覚三郎は茨城県の人で終戦の翌年に亡くなっていました。


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私の父は長崎の出身、海軍工廠を出てから東京の明治大学、卒業後は、戦前の鎌田にあった、日本自動車・飛行学校へ就職。その会社が出版していた『スピード』という本の編集をしていました。戦争がはじまり紙がなくなった昭和18年には、私が生まれ、昭和20年の終戦を迎えたと母から聞いています。しかし戦争の思い出も父の思い出もほとんど無く、祖母の優しさに包まれた幼かった日々が記憶の中にあるだけです。


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昭和22年、結核を患っていた父が他界、母愛子、祖母みよ、娘のみやこは4歳になっていました。戦後という時代の中でしたが、母の強い生命力と、祖母の深い愛情で、何の不自由もなく、我儘いっぱいに、小柄な少女は育ってゆきました。みやこが小学生になったころ、住まいが早稲田に移り、母は日本橋の料亭に勤めておりました。気丈で、今でいう『小股の切れ上がったいい女』、母の愛子はのちにその料亭の女中がしらとなり、日本橋界隈を闊歩する毎日でした。

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その母は職業柄もあって、色々と芸事を習っていました。例えば日本舞踊。おけいこの日には私も一緒に。「チントンシャン」とお師匠さんの口三味線にうながされ、母と踊る『博多夜船』・ひとりで踊った『梅にも春』。遠い日々は、あまりにも楽しく麗しく、昭和という時代の苦さなど、幼い私にはまるで無かったようでした。


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美人で・頭がよくて、商売が上手な母は今でも私のあこがれ。芸事にも優れた母は踊りのほかにもお座敷歌や、詩吟なども。日本橋の料亭で行われた詩吟の会には、私も見物に連れて行ってもらいました。マイクなど使わず、母の声は朗々と響きます。その姿が今でも思い出されますが、磨かれた母の声はもう二度と聞くことはできません。母に衣装はいつも豪華な着物。いわゆる江戸前の粋な着物ばかりですが、後に母が言うには「着物を買わなけれは家が、あと三軒ぐらい建っていたわね」。この言葉につきます。家には紺屋さん(こうやさん)と母が呼ぶ染物やさんが始終来てくださり、次々と箪笥が満員に。


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子供の頃の母の芸事への印象は、幼い私の中にしっかりと残され、図らずしも、歌手になれた時、私はステージ衣装には、かなり拘り次々と買い求めることに。しかしここ数年はステージとは殆ど無縁の暮らし、数枚残ったドレスはクローゼットにしまい込んだままです。もう着ることは無い!そうは思っても今でも捨てることは出来ません。それどころか新調したまま、直用しなかったグリーンのドレス、裏地がついた絹のドレスです。人生の大先輩から最近いただきました。今年こそ、このドレスで、心身ともに再起動したい私です。


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今年も平戸ツツジが美しい花を咲かせています。


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涙が咲かせた花ならば [シンガー]

ここの処、昼夜構わず眠り続けています。危ない!確かに危険です。一度検査を受けなくてはいけないのかも知れませんね。しかしこうなっても不思議でない程、沢山の傷が頭に脇腹に、背中に足に。2022年は3月半ばから4月半ばまでで5回、去年の2021年が4月~6月までと12月迄に9回。合計14回のきつい暴力です。身体の彼方此方が、この一年は痛み続けました。然し慣れとは不思議なもので、何とか生き抜いてきました。


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夕方の事です。朝から全く鳴らなかった携帯が大きな音を立ててなっていました。「はい、みやこです」と私。すこしはにかんだようなTさん。95歳になられる紳士のTさんとは、以前お家がご近所でした。子供時分は児童合唱団のメンバーだったそうで、歌のとても上手な方です。久しぶりにお電話いただきました。「実は病院で転んで頭を打ってしまって…」と恥ずかしそうにでも笑いながら話されるTさんです。


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「その後どうされましたか」、やや心配そうな電話の声。何とも不思議なご縁なのです。Tさんは、私の歌友だちの友人。そのTさんが9年前に私に紹介して下さった子さんは、しばしば私のブログに出てくる暴力女史の子、その女子のお姑さんになります。本当に不思議なご縁で繋がっています。若いころ川越の会社に勤めていたTさんは、仕事帰りに部下を連れて、Yママの店によく通ったそうです。現在85歳になるママの方も「あら、あの歌のうまい方ね」と覚えていて下さったようです。


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さて、A子がボスの暴力はグループAは、女性が3名・男性2名で編成されています。最近はその中の一人が私に暴行を仕掛ける事も。そんな時は公園のベンチでA子は休憩。お酒を飲んでグループと私を指さして大声で笑っています。私は、交代で狙われるので、以前より頻繁に痛め付けられます。兎に角、不意を突かれるので、逃げる事も110番することもすべて後の祭り。彼らからの暴力は止まることなく続いてゆきます。


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実は、その様子を個別にですが、私がお二人に伝えていたのです。お双方とも随分心配して下さいました。特にYママには、息子のお嫁さんいあたるA子には是非とも注意をして頂きたかったのですが。スタートが2021.04.29日の暴力は、1年経った今になっても、その暴力は、一向に止まりません。歌の上手なTさんにも心配して頂いています。特にYママはK子の姑さんなので、かなり気を使っておられるようです。しかしそれとは別に、若かりし頃の思い出も懐かしそうに語っています。


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そんな二人の想いを銘々から聴くうちに、人間とはやっぱり愛しい人や懐かしい人の事を語るとき、生き生きと命が燃える、その事を、その様をそれぞれのお声からも感じました。今、私にも語りたい人がいます。いくら話し続けても語り尽きない私の想い。しかしそれを語れる日、私に来るでしょうか。


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ここの処、辛い日々が続いていたので、何時も私の目には、涙が溜まって落ちて。そして今日の事、私は電話でTさんの話しを聴きながら、何故か涙がほろり。落ちた涙のその下で、小さな花が咲きました。黄色い小さな涙の花は、グミの花に似ているような、いつか成りますね。グミのような、赤くて甘い実が、私の明日にも。

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デコポン&カメラ [シンガー]

皆様こんばんわ桜に心を奪われていたら、いつの間にか4月も半ばになってしまいましたね。ここの処、私の体調はとても悪いです。気が付けばいつの間にか、布団で眠っているのです。私が覚えているのは確かにブログに使う写真の整理。昨日の午前中に撮った写真から数枚を選んでいた筈でした。


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あまり眠っていない夜が明けたのが、午前5時ごろ。何時もならまだ眠っているのですが、昨日は沢山のゴミを出す必要があり、5時半には身支度を済ませていました。実は一日でも早い引っ越しを考えて、不要物を整理中です。かなり捨てています。転居を急ぐ理由は、去年の暴力の続きがまた始まり、体がもう持たないと感じたからです。


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その事が分かった私は一日も早く転居したいと考えました。しかしその費用の高さに苦しんでいます。不動産業者さんにその理由を聞いてみたところ、単身者の高齢者には平常の費用の他に保険代(入居後の入院や未払いなどのリスクに備える保険代金)に充てるので、総額で50万程度は掛かるそうです。暴力から逃げるには転居以外ありませんので、今回も県民住宅へも応募します。しかし4月ということで倍率も高く、見込みは薄いかもしれません。

そんな日々なのでかなりの疲労感があり、睡眠の不安定や胃や腸も不調です。


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私が「単身高齢者なのに」と、いくら愚痴を言っても融通が利くことはありません。独り身の女性の生き方は、所詮せんない物ですね。老人ホームへの転居という考えもありますが、いまは未だ一人暮らしで、生きて往きたいと。夕方、気晴らしを兼ねてデパ地下へ。仏壇へ供える果物をあれこれ探していました。盛りのイチゴをあれこれと。棚の上、籠の中に何かが見えました。顔を上げて籠の中をみると、そこには大きなデコポンが。母の大好物なデコポンです。


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そういえば。今年の春は何故か急ぎ足ですね。満開の桜をあまり見ていないまま、葉桜になってしまいました。今日の写真は新しく買った中古カメラでの作品です。私は案外好きですが、皆様は如何ですか。長文をお読みいただきありがとうございます。


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この命、誰の物 [シンガー]

今日はお釈迦様。幼い頃には祖母に連れられて花まつりの山車を引きました。あれから70余年の歳月が過ぎ、今私は命の危険に曝されながら、それでも果敢に立ち向かって生きています。隣室に住むA子からの暴行は今でもやまる事はありません。去年の4月から始まった、私をターゲットにした暴力の数々。9回にわたる暴力行為は其の度に警察へSOS。しかしそれも成果がなく、未だに彼女は暴力行為を続けています。

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今年人あってからの、その方法は、一人では実行しません。周りに彼女の同僚、もしくは知人などが加わって、2人組で行う場合もあったり、中心人物のA子以外の仲間からの暴力も受けるようになりました。今回は110への通報はしていませんが、高齢者への虐め等の相談室へは時々相談に行きます。彼女の暴行の仕方は、今迄なら人に見られないような方法を取っていましたが、今回は人の前で堂々と彼女流の暴力を。その1、多分3月の末、2021年度の締め切りに彼女の会社も私も追われていた頃です。


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その日、確か昼頃だったと思いますが、散歩に出かけた私、マンションからでて右方向(東方面)へ歩き始めました。家数でいうと3軒目に差し掛かった時です。突然彼女と、同室の女性の自転車が、わたしの左側、それも体すれすれに、ぶつけてきました。吃驚してすぐ前の八幡通りを右折しようとした私を、2台の自転車は曲がらせないように私の体を遮り、八幡どうり左側を駅方面に走り去りました。その時、運のいい事に左側には長い自転車の列が。殆ど女性だけの自転車の列です。その中に2人の自転車はすうーっと入って行きました。あの道には防犯カメラもある筈です。


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私はあっけに取られ、ただ茫然と。左の方から脇腹にぶつけるやり方は、一年まえと同じような暴力、その時も自転車でした。その暴力と同じタイミングです。何故?何故?A子は暴力を止めないのでしょうか。カンセラーの先生に伺ったところ、多分憎しみというより、虐めたいとか、追い出したいとかの感情なのではと。私からみると、その行為はとても70歳に近い女性のする事ではないように見えますが、本当のところは本人以外は分からないですね。

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今日も今日とて、公園で桜を撮って駅へ向かおうと公園の桜の樹の下を歩いていたところ、突然背中に痛みが。犯人は公園の主のようにずっと前から住み着いてこいる背の高い女性、その女性でした。そしてそれらを指図してるA子は公園内のベンチに腰掛けながら、数人の男女でその様子をじっと眺めています。


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生きている私が罪なのか、暴力を続ける彼女たちが罪びとなのか、私にはもう分かりません。周囲の反応は、命を大切にするなら「逃げろ」。しかしこのまま無視していれば、そのうち飽きる等という考えもあるようです。どちらにしてもこれ以上この暴力を繰り返されれば、本当にもう今世とはお別れしなくてはなりません。ね。この1年で彼女からの暴行で受けたきづの痛みは今でも続いています


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かつての川越城では江戸城より多い忍者がおり、その住まいが今私のいる場所から北へすこし行ったところにあったそうです。そして図らずも2015年の頃の転居後、私の住まいは、忍者の方々が住んで居た場所に近い場所になります。川越に転居してから50年目です。私は今、その忍者の亡霊に日々、出会っているのでしょうか。当時の忍者の数は江戸城のそれより多かった。そんな内容の文章が以前購入した「川越城下重ね地図」で見た気がします。私の住まいはまさにその近くにあるのですが。しかし忍者は城を守るためにいた方々ですよね。然し彼女の暴力はまったく動機は違う筈です。今夜も薄い眠りになりそうです。


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愚もない話 [黄昏は麗しく]

暦の上では単なる三月、しかしこの月は期末の憂いもかなり多い月でもありそうな、春弥生。若しかして私のような性格を貧乏性っていうのでしょうか。ともかく私は春が本当は好きなのに、どうっしたことか、この美しい花の季節なのにあまりいい事は起きません。きっと周りの華やかに深い孤独を感じるのかも知れません。幼い時分の私もそうでした。どういう訳か秋が好きです。


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さて昨今の私です。今回の期末は、私にとっては然したる動きのない日々が続いています。暮らし向きは少しも良くはなりませんが、心は案外解放されて(多分開き直り)少しさばさばした気持ちで荷物の整理に追われています。特に書類の紛失を無くすように部屋かたずけけには注意を払っています。


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そんな春の一日、近所の桜が今年も優しい色して咲き始めました。私にとって桜はどれも好きな花ですが、とりわけ以前の住まいの前にあった八重桜と、現在の住まい近くに植わっている4本の桜が、特に好きです。いいえ好きというより、この樹の運命と私の運命がどこかで繋がっている気がするのです。


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八重桜の方は移転後、殆どあっていないので、そろそろ開花時期になったので、今日明日にでも会いに行こうかと。亡母との思い出がいっぱいの大きな八重桜、母がこの桜を大層気に入って、観た瞬「此処に決めるわ」と即決でその土地を買いました。都内から八重桜前の家に引っ越してきた時、母が60歳私が28歳頃。沢山の、八重桜への思いはいつも母への想い…。


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負けて勝て!と言われても… [シンガー]

家の前に空き地ができたと喜んでいたのも束の間、今度はビルが建つようです。私がこの街に来てから7年の歳月が流れました。その頃の私は夫を亡くしてから3年の歳月が過ぎていました。食べる事は何とか出来ていましたが、夫が残した借財の取り立ての凄さに力尽きていました。500万と少しだったと思うのですがて…。その時もとても怖い思いをして、愛猫の死を境に家を売却して私は現在のマンションに転入しました。


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8月の25日を今までの家で過ごし、私は川越駅近くのマンションに移った時、何故か初めての家とは思えない程、庭の形が今までの我が家と似ていました。あれから6年と7カ月がたったことになります。昔から『光陰矢の如し』と言われていますが、本当に気が付けば「もう7年?」という感じです。其の7年を迎える少し前の年、令和3年4月から私はまるで地獄のような日々を過ごすことに。桜の咲く頃の話です。


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その美しい桜の下で、何処からともなく集まる男女、すこし異質な感じもした私ですが、それでも春を謳歌していました。数日後に隣室へ転居してきたのは60代の女性。A子さんとは以前彼女の勤めていた場所でよく見かけていました。しかし転居してきたA子さんは、まさにまるっきり別人のようです。横柄な態度と下品な口の利き方。私はがっかりしました。前もって来ることは他から聴いていたので、少し楽しみにもしていたのですが。その変貌した姿にかなり驚きました。


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その後、このA子からの暴力を私は8回も受けることに。彼女の上司に言っても彼女は私を「遊んでやっている」と言ったそうです。その後いろいろ、自転車を脇腹にぶつけられたり、物干し竿を頭にぶつけられたり、マンションエントラスドアで、胸に分厚いガラスドアをぶつけられたりと。4月29日から6月24日までに8回から9回に及ぶ暴行が続きました。最後は右手首が使えなくなるほど痛み付け垂られました。


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その間もその後の私は、今まで通りに教室も公開講座も続けてきました。体中が痛みます。声が今まで通りには出ません。しかし一度も「死にたい!」とは思いませんでした。「逃げた方が良い」と多くの方々が心配して仰いました。然し私はもし死ぬのなら「ここがいい!」と思ったのです。この街は東京の早稲田~川越市霞が関へそして今の脇田町へと転居した私の、終の棲家です。庭には柏葉アジサイや、紫陽花。私の亡父を思い出させる平戸つつじ。真っ赤な実の付けるグミの実などのあるこの庭。どんな寂しい日も、辛い日々も、庭の草花が私の家族でした。


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そして2022年の春になりました。去年の12月から3月初めまでの体調、実は毎日苦しいほど体中が痛みました。右の腕は骨ばかりではなく血管迄も、彼女の長い爪でつまみ出されて、ひねられ続けました。彼女の手つきは慣れたもので、私の声が出ないのを好い事にして体に寒気と震えが出るまで、頭がボーとしてきても、彼女の右手の指や手のひらで痛め詰めました。その後、私は連れて行かれた部屋で意識がなくなりかけて、最後は自分の部屋に送られていました。



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この暴力を最後に彼女の暴行は亡くなりましたが、その後はその知人から今度は追いかけられたりと、全てがなくなったわけではありません。その頃の私は、弁護士さん、カウンセラーさん、お医者さんなどに色々伺いました。然しほとんどの意見は「逃げるが勝ち」、「負けて勝て!」。多くの激励を頂きましたが、此処にいて彼女の心中を聴かないと、私は立直れないと思っていました。


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そして今年も桜の咲く道で、彼女の代わりに私を追いかけ回して掴まったあの男性が、仕事帰り私を睨みつけています。今日も今日とてマンションの自室ドアの前で誰かが叫んでいます。私がまたAを虐めている~と。怖くなった私は夕やみに紛れて外へ逃げました。2時間程歩き回り、教室のあるビルの下まで戻りました。私は決して負けてはいけないのです。私の仕事は生徒さんへ楽しく歌い、そして歌姫になる夢を一緒に歩むのが仕事です。私は決して負けません、負けて勝つとはとても耳障りの良い言葉ですが、私は負けるのは嫌いです!



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神様、間に合いますか、79歳への祈り。 [シンガー]

今年の桜に、未だ出会えない私です。例年ならば、ご近所のクレアモールパークで、あの初々し花弁がほころぶ頃なのに。今年はつい一昨日にも地震があったり、桜の樹の向かい側では工事中だったりと、桜もすこし驚いているのかも知れませんね。でも私は、一日も早く桜たちに逢いたいのです。


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2日前に上記のような内容で書き始めた私ですが、今日、その桜がクレアモールパークで咲き始めました。朝方からの上天気に誘われて、街をぶらぶらと。最近の私は商店街は歩かずに、出来るだけ人に逢わない路地を歩きます。何故かと申せば、その方がこの街の本当の暮らしがみえるきがしたものですから。なにせ一人暮らしの私、本音をいえば、やっぱり暮らしの中の不便さもさることながら、本音は寂しいです。しかし一人暮らしの自由も捨てがたい環境ですけれど…。


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さて、去年から続いたあの暴力事件も幾分収まりましたが、私の中では、未だ何処かに「恐ろしい!」と感じています。9回にも及ぶ暴行はすべて彼女一人で行ったものですが、あの右頭頂への物干竿による暴力は今でも戦慄を覚えます。時折触ってみると、少し凹んでいる感じがします。最近の記憶力欠如は此処から来ているのでは等と感じる事も。またその暴力の最終回(八回目)に受けた右手首へ暴力も壮絶でした。


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そんな日々の中で、どうしても今、やって置きたい事が二つあります。それは私の子供同然のオリジナル曲『小江戸桜』&『何処へ行ったの日本の心』の件です。Miyakoのデビューからすでに12年。カラオケのジョイサウンドにも『小江戸桜』は入っていますが、私の努力が足らず、殆ど歌われていません。川越の街で生きるヒロインが初恋を捨て、何代も続いた蔵造のお店を継ごうと覚悟する、とても切なく美しい歌です。ちなみに作詞者は私です。私もこの春から精一杯、「小江戸桜」のミニミニライブを再開したいです。頑張ります! 


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そしてもう一つの願いは、自叙伝を残したい事。長崎生まれの父と東京生まれの母との間に生まれた私のかなりドラマティックな、内容の人生を小江戸桜の誕生の喜びを交えて描いてみたいと思っております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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懐中電灯 [シンガー]

まるで3.11思わせるような大きな揺れ。その時私は届いたばかりのパシコンを箱から出していました。あっ地震!驚いて箱を畳に置くと、私は庭に面したサッシを開けました。子供時分から祖母に言われた言葉、「逃げられなくなると困るから、一番に窓を開けなさい」。確かに逃げ口を確保しておかないといけませんものね。


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私の住む川越では珍しいのでしょうか、かなり揺れた気がします。テレビに映る被災地の様子、テレビに中の建物が大きく揺れています。以前見た津波の凄さを思い出していました。夜も更けていたのですが、私はある荷造りを始めました。万一の時にはどの位の品々を持って逃げればいいのだろうか…。大きなバッグが2個。まんがいちの場合、この重い荷物を持って逃げるのはなかなか難しい気がしました。これ以外にも飲用水も必要でした。


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翌朝、少し眠い目をこすていた私ですが、ふとあることを思い出したのです。それは…一品足らなかったのです。そう昨晩の避難用品に大切なもが欠けていました。その大切なもの、それはいつも持ち歩いている『懐中電灯』でした。この懐中電灯は暮らしの必須アイテムなのですが、それを忘れていたなんて、我ながら恥ずかしい! この懐中電灯、最近はとても便利です。その風袋はおおきなものもありますが、可愛い綺麗な風袋の物も円ショップなどでも売っていますので、いろいろコレクション。只長持ちしないので、非難時には電池も必須ですね。


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そんな懐中電灯ですが、普段も大活躍。例えば、帰宅してマンションの集合ポストの蓋を開ける時など。直暗証番号の入力には手元を照らす懐中電灯が必須です。また夜になって干したままの洗濯物を取り込むとき、少し大きな懐中電灯で、照らしながら取り込みの作業をします。板張りの縁側が少し揺れるので、懐中電灯は心強い味方です。皆様はどんな開通電灯お持ちでしょうか?

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早春の風に誘われて [黄昏は麗しく]

此処で、此処で私の運命が変わるかもしれない。そんな儚い希望をもって私はYさんと会いました。85歳というその顔は、以前より張りがあり、その目元の微笑みも穏やかな母のような微笑みです。しかし、この7年間、私はこの人に頭を押さえられていたことも事実でした。次々にその時々の想いが蘇る早春の午後。


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この店は大手スーパーの中にある喫茶コーナー。Yさんとの待ち合わせは午後2時。建物の入り口を入ってすぐなので、足元から吹き抜ける風が、私には些か気になります。しかし私.自らが起こしたアクションですので、我慢することに。先週の事でした。私は隣に住むYさんの嫁とその友人、彼女たちの暴力的,かつ執拗な嫌がらせに、とても憂鬱な日々を過ごしていました。然し行動を起こすのは時期尚早という考えがあったのですが、彼女の姑さんの、Yさんに逢ってみたくなりました。その人の口からあの真実を話して欲しいと願いながら。


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その待ち合わせ場所が、足元に風がぬける大手スーパーの喫茶コーナーでした。しかしそこは日本茶が自由に飲めるサービスもあり、買い物帰りの憩いの場所として、多くのお客さんで賑わっていました。私達はYさん持参のおにぎりや、コロッケなど軽い軽食を食べながら、ぼちぼちと本題へと話を進めました。その真剣でかなりセンシティブな話は、お互いに言葉を探しながら進んでゆきました。一時間が過ぎた頃、迎えの女性が来て分かった事は、暴力をした彼女は同時に私への悪口雑言をその人にも話し続けていたという事でした。そして目の前の私が彼女の言う悪い女にも見えたり、4~5年前にYさんお店で出会った私の面差しとが一致しないと、戸惑いの色を隠せない様子でした。


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帰路、川越駅構内の成城石井で買い物を。きょうも、長崎の特産物と130gの美味しい牛肉等々を買い、オリジナル袋に詰めてもらい、私は満ち足りた気持ちで川越駅東口にある我が家へ。夕暮れの街は急ぎ足で歩く人の波、波です。風が出てきた夕暮れの街にふと佇む私。「私、本当に此処を出た方が好いのかも知れない」等と迷いの多い小春の夕暮れ。多種多様の欲望が渦巻く街中は、今の私には不似合いの場所なのかも知れません。静な,緑の濃い、人が優しい場所、何処かにありますか…。





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真夜中の珈琲 [シンガー]

昭和二桁生まれの私ですが、母のお腹の中に私が居た頃、母は珈琲ばかり飲んでいたそうです。そのせいなのか、私も最近猛烈に珈琲がすきになり、あれこれと取り寄せて飲んでいます。


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今夜も、昼間頂いたおからクッキー(ショコラ)と珈琲で、春待つ心であれこれ思いを巡らせています。それにしても人間って不思議ですね。僅か数週間前の私は、生死の狭間にいたのに、今日の私は、一人でもいから温泉へ行ってみたい等と考えています。母や祖母と暮らした昭和のあの時代、温泉好きの母に連れられて、熱海・湯河原・箱根などへ良く行きました。


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然し二十歳を過ぎて社会人になりそして結婚した後には、温泉は遠いい存在になっていました。ところが令和4年になったこの冬は、体の彼方此方に痛みが起こり、急に温泉での湯治を思い出しました。この際すこし贅沢かもしれませんが、温泉へ行って体を芯から温めてこよう~。そんな思いに駆られています。此処からですと秩父にある温泉へも近いので、折を見て行ってこようと。



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話は変わりますが、3月からの教室の運営にとても悩んでいます。実際に急激に減った受講生さん、その間もいろいろ工夫はしていますが、まだまだ努力が足らないのだと思いますし、教室へ来て頂くリスクも考えなくてはなりません。教室と生徒さんを繋ぐ方法も考えてのですが、設備などに相当の費用が掛かり、今は実現は不可能です。


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色々考えた末、小さなライブ、デビューして間もない頃はカラオケ喫茶をお借りしてよく開催したのですが、しかし現在はそれも叶わないので、別の方法で地味に動いて行けたらと考えています。


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10年も、この懐の中だけで温めてしまった『小江戸桜』、今度こそ、多くの方々に聴いて頂ける場所を沢山作って行きたいと。昨年の春から受けた暴力、何とは治まりはしましたが、体の痛みと同様に、心の中にも大きな空洞が開いてしまいました。もう一度、お客様の前で歌えるように体力.気力の回復へ、日々努力を重ねています。


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これからも、皆様の応援頂ければ嬉しいです。どうぞ宜しくお願い致します。


 ※このブログで使った写真は、川越八幡宮様で撮らせて頂いたものです。門前の梅の木も参道に咲く四季花ばな、そして沢山の小鳥さんも大きな木々の上で春のおとづれを歌っています。

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