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ガラスの心 [黄昏は麗しく]

昼間、友人と笑った。「今が一番幸せ」という私と彼女。確かに自由というかけがえのない宝物を私たちは持っている。しかし私とYさんの大きな違いは係累が有るか無いか、これは黄昏を往く私たちにとっては大変な問題です。

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人生100年と言うけれどこの係累が殆どいない私の心の拠り所は、今何処。さて最近長崎のおばあ様との面会を思い出し、今更ながら哀しい思い出だとつくづく思います。遠いと遠い思い出なのに、二十歳にして初めて会った父方の祖母との対面はほんの数秒でした。

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長崎市の麴屋町、googleでビューしても今はその家の面影はありません。かつては龍踊で有名なお寺の傍にその家はありました。そこに私と母が訪ねたのは、私が二十歳になった時。当時運航していた「さくら」に乗って会いに行きました。祖母の前に立って「都です…」、「…」無言の祖母。暗い表情の祖母は、迷惑そうな素振りだったように記憶しています。

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面会の後、母と私はお決まりのコースで少しだけ観光、グラバー邸で撮った写真だけが唯一の思い出。おばあ様と同居の筈の父の弟も役所の仕事で休めない、そんな理由で会えずじまい。その晩は長崎に泊まる筈だった私と母は、私の強い希望で東京までトンボ返り。九段下で新調した高価な帽子に三越で買ったこれも高価なコート。母の気遣いは長崎のおばあ様には通用しなかったようです。後に相続が起こっても代襲相続の通知は全くないまま、その後は音通不通に。

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一方、母方の祖母とは生まれた時から同居でしたが、17歳の時その祖母は胃がんで他界。73年の人生でした。今月の3日で60年近い歳月が流れています。10歳近くまで祖母の懐で眠っていた私。あの日以来あの無償の愛に出会ったことはありません。しかし後にして思えば母の愛はそれにも勝る大きな愛だったのではとふと思う事があります。昭和23年に他界した父とは殆ど記憶の無い私。母の愛は父の愛を補完した愛だった気がします。

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外見からは想像できないほど、私の心は脆いのです。その生い立ちから見れば仕方が無いのかも知れません。しかし東京の祖母、生まれた時から17歳まで一緒だった祖母、あの心を受け継いで私は今もお人よし、疑ると言う心は持ち合わせていません。それ故いつも心はキリキリ痛みます。黄昏の道を父を迎えにバス停まで走った私。音羽通の講談社のあたりに都バスの停留所はありました。銀杏並木が美しい大通り。今でも記憶に残るワンシーン。




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