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命の洗濯 [歌謡教室]

T子さんが入門してから5年、今は昔からの友人のように仲良しです。ここ数カ月の私の体を随分心配して、きょうはご自宅へ招いて頂きました。共通点は私も彼女も「江戸っ子」豊島区生まれと文京区生まれの二人です。今思えば彼女の家と、私が通っていた小学校とはかなり近かったようです。


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帰路、母の好物の草餅を買って家に戻った私ですが、もうやめようと思いながらも、またもや裏木戸から部屋に戻りました。最近の私は正面玄関からは殆ど出入りしていません。怖いからです。その場所では胸を打たれたり手首に怪我を受けたりと、痛くて怖い仕打ちを受けた場所だからです。もし自分が逆の立場だったらどうするのかと考えたりもしましたが、何があっても私自身は、人に暴力は振るわないと断言できます。


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世間の方々は、その生涯で、暴力など受けたことのない人が殆どだと思いますが…。私も何故、自分が暴力を受けたのか、何回も何回も受けたのか、未だに理解できません。そんなこんなで家探しをしていた私でしたが、予想外の経費を聴いて、さすがに怖気ずいてしまい、中断です。URでは65万円、市中の不動産屋さん数件をお聞きしてみても、やはり50万円位はかかる様でした。


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私は本当に情けない人間です。この年で50万、60万に驚くなんて。もう言い訳が通用しない年齢です。しかし現実は現実。家を手放したあの日から、わたしはもう普通ではないのかもしれません。夫が亡くなった後の家には毎日いろいろな人が押しかけ、脅かされたりもしました。家を手放さなければ、命さえ危なくなってきたのです。仕方なく家を手放し夫の借財を返済。その後、私は現在の住まいに引っ越してきました。周囲の暖かいご厚意に甘え、今日迄生きてきました。


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この7年間は夢のように過ぎ、老境に入っても臆することなく、楽しい日々を過ごしていました。その暮らしが地震のような音を立ててグラグラと崩れたのは2021年の4月からでした。不可解な暴力の数々。私が言う『暴力』という言葉に多くは同意を頂けないまま、我が余生の日々は、暴行一色に塗られました。2021年4月29日から6月24日迄で、合計8回に及びました。体中の痛みと、心の痛み。その中で私はもがき続けました。


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そんな様子に教室を去る方もありましたが、私を元気づけるようにレッスンに来て下さる方も沢山おられました。そうして丁度10か月。私の決心は、転居でした。これ以上体がもたないと感じたからです。しかし、これが運命なのかと思うほど、家探しは難航しました。物件上のアクシデントもありましたが、購入者の私、その資産のなさに我ながら吃驚。勿論家を買うわけではなく借りるだけなのに大まかにいえば、引っ越し代を入れると100万円前後は必要だったのです。


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自分の不甲斐なさに死さえも脳裏に浮かびます。しかし私はまだ生きたい!このまま死ぬなんて絶対に嫌だと。その結論をもって出直すことになりました。然しこの先、本当に生きて往けるかどうか、まだまだ自分でも分かりません。いまの2倍も3倍もの努力が必要ですね。


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そういえば、帰路の道すがら夏の夕暮れに咲く花、『夕顔』に出会いました。いいえ若しかしたら夕顔に似た花だったのかもしれません。幼い日々を暮らした早稲田の家の庭、沢山の花が咲いていました。縁側で祖母と遊ぶ私がいました。今の私、祖母よりもう5年も多く生きています。さて、どうした事か今夜は心穏やかです。昼間お邪魔したT子さんの御宅、あの居心地の良さが未だ続いているようです。「T子さん有難う~ございます。私、命の洗濯が出来ました!!


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