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人生プラン最終章 [黄昏は麗しく]

朝早くからの電話。何事かと思ったら、歌ともだちYさんからの電話。90歳を過ぎても元気はつらつのYさん「考えてみたのだが…」と。要約すると今の儘では危険だから、転居した方が良いのではと。私も同様の見解です。確かに、この3カ月で5回以上に及ぶ、隣室女性からの暴力。これはもう限界です。喧嘩などしてはいないのに。何時も不意に何処から出てきて暴力的な行為の数々。本人は私に虐められていると、上司の前で泣いて訴えてるそうです。

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そんな日々ですから、私は仕事も手に付かず、家の出入りはおろか、庭に出て洗濯物を干すことも、綺麗に咲いた花達を撮ることも出来なくなりました。傷の殆どは、打撲でしたが、6月24日に受けた右手首への暴行は、相当痛かった事と、場所が急所を突いているので、かなり訝しいと思いました。手首の血管から出血させる事を狙っての行為ではと、後から聞いてぞーっとしました。この行為は、一般人が日常で使う喧嘩の手口にはとうてい思えません。

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寝苦し夜が明けた今朝の事、早朝なので安心して庭に出ました。紫陽花のあたりで隣室の縁側が視野にはいります。それを観たとき、私は一瞬凍り付きました。介護用、移動用とでもいうのでしょうか便器です。私も母の看病に使っていますしたが、その便器が布に包まれて大きなごみ箱のとなりに置いてあります。誰が使うのかは分かりませんが、お隣は一人暮らしの筈。介護で使っているのではと。若しかしたら、そのストレスが私への暴力行為だったのか。

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私も認知症初期段階での母を介護ことがあります。もう30年も前の話ですが、当時は認知症への知識がほとんどなく、とても大変でした。しかしその時間があったからこそ、今の私が存在している気がします。もし彼女が、介護の大変さに精神的に動揺していたとしても、今は地域に福祉の手が厚いと聞いています。何も私。への暴力を今の様に頻繁に過激にすることは無いように、思えますがすが。

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そうであったのなら、彼女の大変さ、苦しさもわかりますが、しかし、関係のない、他人の私に暴力という図式は、完全な甘えの構造です。68歳にもなって、自分の不満を、関係のない他人を傷つける行為
は、同情は、できるものではありません。高齢化時代に必ず起こる介護の問題、そのためには最後まで
自立できる自分を作るしかないのでしょうか。

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まさかの喜寿を迎えたこの年2020年8月から早1年が経ちます。なんという壮絶な一年間、コロナの恐怖は経済的恐怖へと。おまけに隣人からの暴力迄ついてきました。人生最大の危機です。しかし行くも去るも…と言われるように、すべてが覚悟の世の中。そんな日々で感じる孤独感はむしろ清々しくさえ感じます。もう一度、もう一度無から始めて見たいこの人生。

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さて私の人生プランのこの次は….そういえば、先日から素晴らしい歌をレッスンしています。『風まかせ』という歌です。瀬月内寂聴先生の作詞による素晴らしい曲です。何処からか、恩師I先生のピアノの音が聴こえて来るようです。心に沁みる音が。

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今後どうするのか、福祉に委ねるのか、自分で道を開くのか、いいえ開けるのか。どちらのしても前途が明るいとは思えません。しかし『歌』という力をフル稼働させることが出来れば、第三の黄昏王国を築けるかもしれませんね。今は、自分の力を信じ、自分を大切に生きて往く以外に、私の人生プランはありません。

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