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黄色い封筒 [回想]

物置同然になってしまった南側の洋間、その一隅は以前の家で使っていたパソコンラック。夕方探し物をしていて見つけたダイアリー。中をめくると、黄色の封筒が挟んでありました。其のあて先には懐かしいあの住所が。裏には2017.01.17と。出さなかったのですね。きっと何かを教えて欲しかったのか、苦しみを解決したかったのか。若しかしたらSOSだったかもしれません。

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教室も軌道に乗り、その分レッスン内容も様々な知識を必要になっていました。きっと何か悩んだのですが、内容が書けなくて、そのままに。ところが今になって思い当たることが。それはある女性からの深夜の電話。それも連続2日です。内容はとても怖い話です。これはほんの一部です。『お前 足腰が立たなく…』、『若いもんに』、『川越には…』『戻れ…ない』でした。怖くて怖くてその時はパニックでした。その電話、女性の怒りは、火を吐くようでした。そして今回も同じ女性の意味不明な行動。

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あれから丁度4年。コロナの日々に誰もが心晴れない日々。突然、押しかけて来た4人組。女ボス以外はシニア男性。ボスのスナックに来るお客さま。自主トレ中だった私のICコーダーには、その様が記録されています。それによると、私は教室を女ボスに明け渡し、川越を追われることになっています。しかしそれは杞憂でした。ひとまずほっとした私。しかしなんだか足元が水浸しになったようで、すこしでも強い雨が降れば、ジエンド。まさに女の一生は先の見えない迷い道。

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何故だろう~。思い起こせば、夫の突然の死を境に起こった嵐のような騒動。私は毎夜見えない敵に脅かされ、睡眠は昼間しかとれませんでした。シンプルな事件ではなかたそのの出来事。夫が残した負の遺産は数千万円を超えます。私の実家、母から受け継いだ大切な土地と家を売り払い、そのお金で私が払うことに。まさに、身一つで再スタート。40年間暮らした家は綺麗に立て替えられ、若い夫婦の住まいへと変わっていった。私は川越駅近くのマンションへ。仕事場へは徒歩2分ぐらいです。近所には川越八幡宮があり、辛くなったら、必ずお参りに。

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話を戻します。あの封筒、あの黄色い封筒は今度こそ投函します。今夜は何を書こうか考えています。私信を出したらきっと破かれてしまうでしょうね。オフィシャルな内容であれば、読んで、その上お返事なども頂けるのではと、ちょっとだけ心が騒ぎます。

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今日の写真もまた教室の窓から見える西武新宿線。これに乗れば高田馬場まで行けますね。夜も更けたわが町川越、今は大寒の筈なのに、遠い昔、文を交わした早春(はる)の夜と、心のざわめき似ています。おやすみなさい。





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