柿の実るころ [歌手Miyako]
秋、空も紅葉も綺麗だけれど、なんといっても、私は柿が好きです。毎日食べたい程です。実は父も柿が大好物だったとか。幼い私を連れて、ドテラ姿の父は神楽坂まで柿を買いに行ったそうです。音羽から神楽坂、今はバスも通っていますが、昭和21年.22年の頃は江戸川橋から地蔵通りを通って赤城下から神楽坂まで、徒歩だったと思います。
その思い出を母から聞いて以来、私は秋が待ち遠く思うようになりました。父を思い出そうにも柿とフランスパンしかないのです。柿は神楽坂、パンは音羽の関口フランスパン。この2つが父の大好物だったそうです。そう言えば、小さい頃の私はご飯よりフランスパンが大好きでした。
そしてもう一つ柿にまつわる思い出があります。7歳まで住んでいた音羽の家、裏玄関の前には大きな柿の木がありました。柿の木の向こう側には印刷工場があり、そのお宅には、私より2つか3つ年上のDちゃんという男の子がいました。泣き虫で、誰からも遊んで貰えなかった私、しかしDちゃんは妹の様に可愛がってくれました。
ある日、その柿の木に登れず、一人泣きじゃくっていた私、そこを通りかかったDちゃん。一生懸命に登り方を教えてくれました。 それからの私は、柿の木だけは一人で登れるようになりました。といっても地上1.5m辺りまででしたが(笑)。銀杏並木が美しい音羽通。父とDちゃん、柿とフランスパンへのある町。2020年、秋のノスタルジー。
その思い出を母から聞いて以来、私は秋が待ち遠く思うようになりました。父を思い出そうにも柿とフランスパンしかないのです。柿は神楽坂、パンは音羽の関口フランスパン。この2つが父の大好物だったそうです。そう言えば、小さい頃の私はご飯よりフランスパンが大好きでした。
そしてもう一つ柿にまつわる思い出があります。7歳まで住んでいた音羽の家、裏玄関の前には大きな柿の木がありました。柿の木の向こう側には印刷工場があり、そのお宅には、私より2つか3つ年上のDちゃんという男の子がいました。泣き虫で、誰からも遊んで貰えなかった私、しかしDちゃんは妹の様に可愛がってくれました。
ある日、その柿の木に登れず、一人泣きじゃくっていた私、そこを通りかかったDちゃん。一生懸命に登り方を教えてくれました。 それからの私は、柿の木だけは一人で登れるようになりました。といっても地上1.5m辺りまででしたが(笑)。銀杏並木が美しい音羽通。父とDちゃん、柿とフランスパンへのある町。2020年、秋のノスタルジー。
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