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母娘花 [小説の下書き]

ここ3年程、5月半ばになると庭の柏葉紫陽花が咲き始めます。そして6月、一年目には一輪、2年目には二輪、そして今年3年目では何と5輪も咲きました。今年の花をよく観察してみると、私の部屋から真正面には三輪。南向きのブロック塀を向いて2輪が咲いていたのです。

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さて、私の部屋の正面の三輪、実はその花の姿が実に面白いのです。大きな母の背に小さな赤ちゃん。母の左手にはまだ幼いけれど、妹の面倒をみる女児。雨に濡れてびしょ濡れの時も、じりじりと容赦なく照る太陽の下でも、子供たちは母にぴたりと寄り添い続けている。まさにそんな姿を想像できるような形で咲いています。毎日見ているうちに、遠い日の母と私の暮らしを思い出してこの花たちがとても愛しくて…。

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それでは少し間が開いてしまいましたが、今夜も小説の下書き、『旅ゆけば…』のつづきを宜しかったらご覧ください。

35歳になった私が勤めたY社は、今思えば不動産のプロフェッショナル集団。その取引も大きな単位の物件ばかり。30代半ばの私には毎日ドキドキする事ばかり。5時になれば先輩に交じってライオンや八重洲のスタンドバーで一杯。初めて飲んだバーボンの味。生意気にもその匂いが好きだと言って、いつも飲みました。其の頃はまだカラオケの時代ではありませんでしたので、飲んでしゃべって、ほろ酔いで川越まで戻ります。そして2年の歳月が経た頃、長い研修期間が終わり、転勤が待っていました。通勤を考えて池袋支店へ。かつての三越の並びにありました。

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可もなく不可もなく私は徐々に不動産営業の楽しさに溺れていました。もう結婚はせずに自分で店を持つ事を真剣に考えていました。さらに数年が経ち私はとうとう40に手の届く頃になりました。恋をすることもなく、贅沢をすることもなく、母と暮らす川越の街へ、仕事が終わると戻り、朝は東上線で池袋へ勤めに行く。そんな平凡な日々が続きました。

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しかしその幸せは、40歳を境に大きく変わります。例によってお節介な私の癖が首を出し、職場の女性を誘惑した相手に説諭する羽目に。彼女に頼まれ二度と近寄らないように言いました。本当にお節介も度を越して居ました。その人ニコニコ笑って「申し訳なかった」と。彼女には思う人がいたので何となく一件落着。其の1年後、私はその人と結婚しました。将来あんな悲しい事が起こるとも知らずに、私は二度目の遅い花嫁になったのです。結婚には反対しなかった母ですが、入籍は拒否。私もそれでいいと思い、勤め先に近いマンションで暮らし始めました。母70歳私42歳の秋の事。(つづく)



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