それは『銀座2丁目』から。 [小説の下書き]
息詰まるような60日間、薄紙を剥がすようにほんの僅かずつ新しい『生活スタイル』が始まりました。昨日月曜日から休業中だった教室を再開しました。対策としては、全てのドアノブ、机や椅子の除菌、2か所の窓を開けで風通し良く。良かった!再開できて。今は只、この言葉しか思いつきません。例え、これからの人生が短かろうと、永かろうと。もうこれでいい!これで頑張ろう~。
帰宅後は何時ものように庭で写真。今を盛りのカシワバアジサイ、紫陽花。春の名残のペチニアも咲いています。この時間は西陽になりますが、植物たちの朝とは違う表情がとても好きです。
今夜も少しだけ昨日の続きにお付き合いくださいね。
離婚後2年目、33歳になった私は、地元とは相性が悪いと感じていました。その理由はある職場に入社した時のことです。同僚の女性グループから目の敵にされ、「お前に家に火を付ける」グループのリーダーFの夫と名乗る男性から脅迫の電話。事実、家の外部に盗聴器が付けられていました。消防署、警察に通報しましたが、取り上げてはもらえませんでした。もう限界、私は一人家を出ようと思いました。このまま母と家に居れば母は喜びます。しかし私は、どうしても仕事がしたかったのです。自立がしたかったのです。
以前から不動産の仕事がしたいと思っていた私。離婚直後から猛勉強して、宅建試験は合格していたのです。しかし取れたからと言っても、地元には不動産関係の仕事はありませんでした。そこで慣れ親しんだ東京へ再び目が行ってしまう私。新聞の求人広告で見付けた銀行の参与という仕事、不動産ではありませんでしたが、その職場に魅力を感じての応募でした。そして其処から私の運命は再び多く動きます。
そこは京橋と銀座2丁目の間。当時はテアトル東京があった場所になります。その裏手に私が紹介された不動産会社の本社がありました。当時の勤務していた会社先の上司にお願いして半年、やっと希望した会社の面接が叶う日です。紹介という事もあり即採用に。入社早々、熱海研修所で1週間の研修。新卒の若い男性社員が多くて吃驚した思い出があります。
入社後の勤務先は八重洲口から5分ほど、中央通りにありました。不動産のスペシャリストが働くその会社はまぶしい程の世界でした。会社近くの丸善の屋上にはゴルフの練習場があり、私も入会する事ができました。この界隈、19、20歳の頃、専門学校に通いながらのアルバイト時代、私にとって思い出がぎっしり詰まった場所です。あのスマートで粋な江戸っ子、Tさんからプロポーズされたのもこの日本橋でした。(つづく)
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