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旅ゆけば~ [回想]

あの~これ、浪曲の…、いいえ、あれではありません。広沢寅造さんが語った清水次郎長伝の冒頭は「旅ゆけばああああ…」ですね。祖母の大好きだった浪曲、虎造さんです。毎晩ラジオから流れる浪曲聞いて、祖母と私の一日が終わります。殆ど祖母の懐に潜り込んで眠ります。

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そんな時代を過ぎ、私が反抗期を迎える頃、祖母は長女(母の姉)の家に手伝いに行くことになりました。そこは竹島町の家が焼け出され、私たち一家が身を寄せていた家です。一方私は母と2人暮らしになりましたが、同じ敷地内に母の弟一家が住んでいたので、洋裁などを習うことが楽しかった記憶があります。ミシンはソシンガー。早稲田から川越に転居する時、捨ててきました。今思えば取って置たかった!

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そして昭和48年5月。母は川越に転居してきます。私は23歳で結婚した10歳上の夫と、母の家から歩いて10分ほどの隣町に住んでいました。家探し初日に母が購入した家は築2年の平屋。価格は東京の家を売ったお金の5/1程でしたが、驚いたことに母はその家を壊して、総2階のアパート兼用住宅に建て直しました。お洒落な学生さん向けアパートは大人気で、全て満室に。その後長い間、家から近い大学の学生さんで満員でした。

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母が近くに転入して以来、夫の様子に異変。女性の影が見えてきたのです。同じ勤め先の女性、子供さんがいました。私はこの際、別れようと思っていた矢先。しかし運命とは摩訶不思議。しばらくして夫の勤め先の特殊法人から転勤の命令が出たのです。行く先はインドネシアのボゴール。

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私は、母が近所なので一人で寂しくないから,「どうぞ行って下さい」と大賛成。ところが大いなる誤算でした。転勤には夫婦同伴が原則だったのです。悩んだ末私も行くことに。時々帰国すればと簡単に思っていました。三か月後私たちは母を残してインドネシアへ。私は長い空の旅にグッタリ。インドネシア上空に近づくにつれ、海は赤く濁っていましたし、飛行場に降りた時の臭いはかつて嗅いだことのない異質な匂いでした。

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ジャカルタからハイウエイで30分ほど走ると、ボゴールという町に着きました。ハイウエイーでは路肩に牛車の列が…。もう~見とれてしまいました。ボゴールでの当初の暮らしはゲストハウス。初めての食事はナシゴレン他色々でしたが、殆ど手を付けられませんでした。翌日からは観光に。最初はボゴールパレス(当時の名称です)と植物園。そしてしばらくはゲストハウスで暮らすことに。

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こうして初めて見る異国の地で、美しい星空を見ながら、異国で暮らす私の心に、この暮らしもいいかも知れない!そんな思いがよぎり始めました。しかし運命の神様は気まぐれ。暫くして親戚からの電話、母が危篤とのことでした。急いで夫に一時帰国を頼み、私は帰国することに。しかし当時はJAL指定でしたので、連絡が来てから3日後にジャカルタから日本へ向かうことに。つづく。

次回は日本で私を待つ、ある事件が。身の毛のよだつ話です。



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