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赤いハイヒール [歌手Miyako]

今日は足の話しで恐縮です。子供の頃から、手と足と頭。この3か所がとても小さい私。靴のサイズは今でも22cm、20代では21.5センチでした。手袋&帽子は現在も子供用。首筋からウエストまでの長さは一般の平均値よりマイナス2cmだそうです。

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ハイヒールを最初に履いたのは3つ年上のU子さんとの出会った頃、U子さんは当時、大手銀行のエレベータに乗っていました。お揃いのスーツを着て。彼女の職場に遊びにいたのが縁で、私も夏休みや正月休みなどには、休暇の方々の補欠としてそこへ勤める事に。エレベーターは今のようなボタンでは無かったと記憶しています。しかしとても楽しい職業だと思いました。社交ダンスへ誘ってくれたのもU子さん。最初はどこかの会社のクリスマスパーティー。彼女が履いていた靴は、香港製の飛び切り綺麗なハイヒールでした。

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その後、エレベーターの職業からから離れたU子さんは西銀座デパート地下にあった、靴屋さんへ勤める事になりました。私も早速訪ねてみましたが、ビックリしたのは綺麗に並べられた色鮮やかなハイヒールたち。そして、その驚きは履いてみて更に増しました。靴のサイズ21.5の私の足に、まるで吸い付くようでした。私の為に仕立てて呉れたようです。もう夢心地!その日、買った靴はイエローでした。

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その頃の私、外出はいつもハイヒール。殆ど銀座通りにある靴屋さんで買ったものでした。そしてある日、これも銀座通りにあったチャイナドレスの専門店へ向かった私、以前から欲しかったチャイナドレスを注文しました。お店では丁寧な採寸があり、わたしの乙女心をさらに掻き立てました。何処へ着てゆくのか、目的もないままに、勢いに任せて2着も作りました。

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ドレスが出来た日、私はドレスに似合う靴を買いに、今度は一人で西銀座のお店へ。そしてそのまま、夕暮れの銀座通りを弾む心で歩きました。その時です。「ねえ彼女!」と男の人が近寄ってきます。きっとチャイナドレスが眼に止まったのでしょう。彼らは銀座のグラブ等で働く女性たちのスカウトでした。お茶の水の専門学校に通いながら時々アルバイトの私、流石に怖くなって急いでその場を逃げました。

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そして23歳で結婚、新居は現在住んでいる川越。これは全くの偶然がなせる技でした。11歳年上の旦那様は無口の会社員。私のハイヒールには特に文句は無かったけれど、私が日々歩く道路に難点がありました。歩道も車道も砂利道。大切なハイヒールなどは決して履けません。その環境で半年暮らしたのち、私は母の家に戻りました。離婚ではありません。旦那様が私と東京へ転居したのです。家の裏庭に小さな家を建てて暮らすことになったのです。そしてまたハイヒールで出歩く日々が続きました。

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あれから半世紀がたちました。母も夫も今は無く、子供もいない私ですが、最近ハイヒールを履いています。流石に外では少し憚りますが、教室では何時もハイヒール。真っ赤なハイヒールを履いて踊って歌います。今日も明日も、赤いハイヒール。
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ぼんぼちぼちぼち

赤いハイヒール、素敵でやすね。
セクシーな女性の象徴のように感じやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-09-21 18:37) 

marine

ぼんぼちぼちぼちさま、コメントありがとうございます。赤色を身に着けると何だかパワフルに、そんな気がします(^^♪。
by marine (2020-09-22 10:18) 

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