SSブログ

不惑の30代 [小説の下書き]

コロナ自粛59日目にして解除された街。それに伴って教室も準備が必要になります。除菌の薬、小型扇風機調べてみると案外掛かります。一方、川越市の事業者向け事業継続緊急支援金への手続きはまだ書類が届かず、目途も立ちません。

P5220559.yy88.1600.JPG

毎日、生きるか、死ぬかと禅問答。生きたいのに生きていられない!Facebookのユーザーから、『77歳になるのなら、地域の民生委員にたのみなさい。人はあなたの愚痴は聞きたくありません』と。泣いた!号泣!呪った!一晩中呪いの言葉を…。目が覚めてみると闘志がわいていました。悔しいのなら見返せ!と神様が耳元で囁いた。

P5070762.yy88.1600.JPG

  それでは今夜の『旅ゆけば~』のつづきで、少々お付き合いください。
家出した夫は新潟に行ったのです。知人夫婦の転勤先へ私は迎えに行きました。豪雪地帯の真冬、二階の入り口から入り、夫を連れて家に戻ることにしました。平凡で愛のない日々がまた続きます。翌年、夫から告げられてのは海外への転勤でした。期間は5年間、私は少し不安な気持ちになりました。

P5220602.yy88.1600.JPG

其の頃の私は、物を深くは考える事をしなかったので、てっきり彼が一人で行くのだと、思っていたのです。しかしまさかの展開。妻同伴だと聞き、母が納得しないと思いました。出発は5月。そして初めての海外赴任へ私たちは向かいました。行く先はインドネシアのボゴール、到着まではかなり懸って、シンガポールでは、ロビーで休憩。やっと着いたのはジャカルタ空港、空からの海は濁った茶赤のような色でした。異国で暮らす自分を何だか、物語の主人公になったような不思議な感じでした。しかし、それから1ヶ月程で、私は一人川越にある母の待つ病院へと向かうことになりました。


P5050628.yy88.1600.JPG

インドネシアから持ってきたジャワサラサ。高級品です。ジャカルタのデパートで、日本円にして1万円。当時の運転士さんの月給は6,000ルピアでした。レイトはわからないのですが、現地のデパートでも高級品でした。

P5121082.yy88.1600.JPG

そのジャワサラサで作ったロングのワンピースを着て街を歩く私、川越の人々は日本人に見えなかったそうです。その後、大好きだった社交ダンスを川越の街で再開。今はない銀座通りの用品屋さん、その2階にはダンス教習所。明るいダンススタジオには、初老の先生と若い女性が一人。

P5150116.yy88.1600.JPG

10代から踊っていた私の再挑戦。初老の先生は抜群の腕で、かつてない程、ダンスの深さ妙味を知ることが出来ました。暫くして、先生が選んだパートナーはすこし怖い顔した工場の社長さん。日産のエンジニアだったとか。東京生まれの50歳。そしてある彼の趣味に吃驚した私でした。(つづく)
nice!(9)  コメント(0) 

nice! 9

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。