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柿食む頃 [回想]

暖かい部屋で食べる富有柿、父の大好物でした。しかし私は父のその姿は観ていません。乳飲み子の私を褞袍の懐に入れて神楽坂まで柿を買いに行った父。当時の住まいは音羽、講談社から100m程江戸川橋寄りの辺りです。この時期、冬将軍が近づくころ富有柿が美味しい頃ですね。

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思い出は、私の人生にとってとても大切です。いいえ言い換えればその頃の私が一番幸せだったのかも知れません。父の望みは私に編集者にさせたかったようです。其の訳は、当時の父の勤め先は丸ビルの確か『経済情報社』、同僚のT夫人はとても優秀な編集者だったそうです。父は私をその夫人のような編集者になって欲しかったようです。そこで幼稚園から将来を視野に入れて、父は当時の女高師(お茶の水女子大の前身)を目標に、私を4歳から音羽幼稚園に入学させました。

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しかし父亡き後は其のことは忘れ去られていました。ところが17歳になった頃、当時の女学校の数学の先生、K先生から、先生の母校のお茶の水に推薦するとのお話を頂きました。条件は其の女学校の数学の教師になる事でした。K先生と同じ道を進めて下さったのです。しかし運命とは…、皮肉な事に当時の私は、祖母を亡くしてから放心状態の日々。私はその幸運を少しも喜ぶことなく、母や世間に反抗して今で言う引き籠りの日々を過ごしていました。

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あれから半世紀も経た今、私は父の夢を叶えることなく、またまた人生の迷路を彷徨しています。何回目でしょうか、今はもう彷徨う事が辛くもありません。ゆらゆらと揺れる心模様を案外楽しんでいる私。

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昔のように何事も真正面から取り組むことを止めました。見えないものがあっても分からない事が多くても、そこそこの回答があればそれで今は満足です。身の丈とは謙遜ではなく、一番ふさわしい、当人にとっても一番快適な環境かも知れません。

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今、私は身の丈に合った居心地の好い環境で大好きな歌を教え、歌詞を書き、果たせぬ夢でもいいから頑張ろう~と。秋も深まり、そろそろ冬将軍がやってきます。遠い日に夢見た沢山の想い、今も目をつむれば見えて来ます。銀杏並木の坂道も、屈託ない素振りで微笑むあの笑顔、笑顔も。

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仏壇に供えた富有柿。お父さん、私はあなたの娘です。貴方の見た夢を今でも引き継いでいます。
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