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夏祭りの頃 [シンガー]

今年も川越百万灯夏祭り始まります。私は川越に住んで45年も経つのに一度も見た事がありません。この現象がとても可笑しい事なのだと今になって思います。何故そんな事が起こったかと言えば。子供が無いので近隣との関係は希薄、職場が都内だったので、さらに近所には友達もできませんでした。

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元来が自分勝手な人間なのです。なので遠い日に恋愛と思っていた現象も今思えば一方的だったのかも知れませんね。しかしそれだから、今のように孤独な暮らしにも疑問も抱かずに暮らせるのだと思います。むしろある意味ではこれが一番幸せなのかと思ったりします。

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話は変わりますが、生徒さんからよく『感情の入った歌い方』について質問されます。その時の答えは『息の使い方』と言います。しかしもっと言うならば、私が思うには感情を入れて歌う事と、物語の主人公の身になる事とは若干違うと思うのです。

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楽しい、辛い、苦しい、逢いたい、憎い、侘しいなどの心の有り様は無限大です。が、歌の世界でも人間世界でもそうですが、口をついて出た言葉がそのまま本心でない事がしばしばありますね。そこで歌う人があまり感情を入れて歌うと、裏に隠れた本心、そこが作詞家の書きたかった所を見過ごしてしまう気がします。ただ只、喉を競うような歌い方はあまり好きではありません。

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何故って愛しい、切ない、侘しい、恋しい、逢いたい、ご無事で等々の気持ちは、暑いとかお腹が空いたとか頭が痛いなど、そういう類とは違って心が揺れ微妙な感情なのですから、動物的本能とは共通点は無のです。それ故、感情がこもった歌とは人の世の哀歓を自ら知る事から始まると言っても過言でないと私は思います。想像でたやすく生まれるものではないと思います。歌詞の中の物語を咀嚼して歌えば勢い感情は入るものだと私は思っています。

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